過去*

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過去*

 肩で切り揃えた桜色の髪が微風に揺れて、リーヴェルは目を細める。彼女が立つのは霧が濃く薄暗い場所で、ぼんやりとした影によって建物があるのだなと認識できるくらい。人影は一切ないし、それらしい気配も感じられない。寂しい無人の空間。 「本当に誰もいないのねえ」 「……言っただろうが馬鹿。なんでのこのこ付いて来るんだ考えなしなのか」  彼女に答える猫背の青年は不機嫌な顔をしている。それが彼の常なので、リーヴェルは気にしていない。口が悪いのも可愛いおチビさんの愛嬌だと流している。彼女と彼は二つしか年が違わないけれど、そんな彼が愛らしく微笑んでいた貴重な幼少の頃からの付き合いだった。 「あなたの陰気さにぴったりのところじゃない」 「喧嘩売ってんのか」  片目が潰れて久しい彼は、一つ残る灰色の目で睨みつける。 「シェオはどこに住んでるの?」  どこ吹く風で彼女は聞いた。深い海のような青い髪を一つにまとめた彼――シェオは、遠くを指さして、 「あの辺のでかい建物」 「霧で全然見えないわあ……あ、屋根」 「家に置いてた本も全部移動させた。広いからまだ入る」  彼はツァウベルに関する書物を集め、自分でも調べたことを記し、日々着々と所持する資料を増やしていた。おかげで実家の自室から資料ははみ出し、書庫を拡充するもいつの間にか許容量を超え、捨てるかどうにかしろと父親とさんざん喧嘩をした挙句それが他のことにも飛び火して。 「……とうとう追い出されたわねえ。いいの?」 「いいんだ。俺以外にも跡継ぎはいる」  ついには魔法使いである家の実力をより高めたい親と、表に出たくない地味な調査を好む彼の仲が割れた。シェオはそれが丸く収まった最善の結果だと思っている。合わない人間はどこまでも合わないのだ。  それよりお前だろ、と。 「エリットとの婚約破棄しただろ」 「あら耳が早い」 「ランヴァルとブルクの噂なんてすぐ広まる」  魔女の家系のランヴァル家と魔術師の家系のブルク家は、両者とも国に貢献する優秀な魔女・魔術師を輩出していることで有名な家だった。彼女たちが暮らす国は今立っている場所とはまた別の空間(、、、、)に存在している。 「あなたの噂もよ。ラフト家の勘当息子」 「はっ。一瞬で消えただろうが」
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