1人が本棚に入れています
本棚に追加
10年前へタイムスリップ
『あいつの言葉を真に受けたわけじゃないし、信じたわけでもない。それなのに私ってなぜここに来ちゃったの?…来てしまっちゃったのよ。ふふ、だいいちついさっきまできょうがその日だってことを忘れてた。それが美枝子の結婚式に出てその幸せそうな顔を見たとき…そしてその美枝子自身が誰かに投げるんじゃなくって、わざわざ私のところに寄って来て、花束をくれたときのことよ。惑香、きょうがあの日よ。ヨ、シ、オさん…なんてさ、意味深に微笑んでくれちゃったりして!…その途端に頭の中がまっ白になって…それまでこらえにこらえて、素直に美枝子を祝福する気でいたのに…もう、いきなり爆発しそうになって…私、思わず涙ぐんで顔をそむけてしまった。まったく!美枝子までもが私を裏切ったりして!』
どうやら惑香とその美枝子との間にはなにやら特殊ないわくか経緯がありそうだ。ふり払ってもふり払っても心にわいてくる懊悩と、一種、なやましさを消そうと、惑香は10年前のあの日、あの時のことに思いをはせる。実際心中のモノローグとは裏腹に10年前のあの日のことは忘れようにも忘れられなかった。心中で自分に嘘をつかなければならないほどにも実はそれは強烈だったのだ。美枝子の言葉が直接の引き金となったのは確かだが、しかしそれが仮になかったとしても惑香は自分の思いだけでここに来ていたかも知れない。ではひとつ、惑香の追憶とともに10年前のきょうにタイムスリップをしてみよう。惑香はあの日いまと同じ席にいた…。
「やあ、またお会いしましたね。サンドイッチでも食べようと思って入って来たら、またあなたにお会いできるなんて。ははは、これはラッキーだ。ところであの、お仲間は…?まさか、あなたお一人ですか?」という粋なバリトンの声に惑香が目をあげると、彼女をやさしげに、また愛でるように見つめている義男の笑顔がそこにあった。
最初のコメントを投稿しよう!