#20

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エレベーターを降り、共通通路を歩く。 リョウの住まいは建物の角なので この通路の一番奥になる。 誰もいない通路を歩きながら 私はバッグに付いた水滴や、足元の濡れを気にした。 駅を出て、ここに着く直前 急に雨が勢いを増したせいで 随分と濡れている。 少し寒さを感じる。 きっと本降りになった雨が 徐々に気温を下げているのだろう。 そう思いながら 駅まで迎えに出ようとしたリョウを 自宅で待っているように提案できた自分が 正解だったな、と自負する。 その一方で 前の彼女はこんな時 どうしていたんだろう……と思い浮かんだ。 この道を通った彼女もまた 雨に足を濡らして 彼に会いに来たのだろう。 いらっしゃい、といって オートロックを開けて 彼女を招いた内野さんの思い出が この静かな場所にはあるのだ。 いちいちこんなことを考える私に 斉賀さんはきっと、こう言うだろう。 『彼女は彼女、お前はお前だ。 そんなことを考えても仕方ないだろが。』 それは分かってる。 私と彼女は真逆だということも ……それは私には、どうしようもないことも。 分かってるけれど、私の中に小さな不安があった。 あの日、お墓参りに出たリョウが 涙を流した理由の奥に、彼女の影があるのでは、と。 彼を強く揺り動かし、引き付けるのは 彼を一瞬で熱く燃え立たせ 刹那に凍えさせるのは 今でも彼女だけなんじゃないか、と。 ふう、と息を付く。 「…………今は今。私は…私。」 そう呟いてから 彼の住まいのインターフォンを押す。 少し待つと、扉が開く。 「いらっしゃい。雨、結構降ってきちゃったな。寒かっただろう、入って」 インターフォン越しよりも 鼻声気味のリョウは私を招き入れると 手に持っていたタオルを 私の腕を拭うように当てた。 玄関に広げたタオルへ上がるように進めつつ、 リョウは私の足元を見る。 「脚も濡れてるな、靴は……っと。新聞……いや、ペーパータオルを詰めとこっか。何度か替えていけば帰りまでには、ましになるだろう……ん、アリサ、どうした?ボーッとして。」 「ふふ……何だかリョウ、お母さんみたい。」 「えー、なんだかあんまり嬉しくねーな」 「風邪の具合はどう?」 「ボチボチってとこか。これ以上喉が腫れ出したらアウトなんだよ俺。薬を飲もうが医者に行こうが、どうやっても悪くなっていく……これはもう、デカイ扁桃腺を持ってる人間の宿命だね」 などと言いながら 一通り、私の手入れを済ませると 顔を見つめて 「……でも、会いたかった」 ふわりと微笑んだ。 それを見つめて、私は 倒れ込むようにリョウに抱き付いた。 「私も……私も会いたかった。」 腕を彼の背に回して ぎゅっ、と力を込める。 彼の胸からは 仕事の時とは違う香りがする。 何度も嗅いだ、休日の彼のグリーンティーが香る。 不安は消えない。 けれど、迷いはない。 ……今、リョウの側に居るのは 私なのだから。 何も言わずに、リョウは 私を少し強い力で抱き返してくる。 腰に腕が回り、引き寄せ、二人の身体の凹凸を合わせる。 その力に、私は身体を寄せて甘えた。 ……しばらくそのまま抱き合って。 「……あー、こんなことしてると抱きたくなってくる。風邪なんか引いてる俺がすげぇ悔やまれる…」 小さく、控えめに笑って そっと私から体を引き離した。 「今日は大事なことがある……先に抱いたら俺はズルい男になるから」 「ズルくてもいいのに……」 男の狡さを使っても 私をずっと、手元に置きたいと言ってほしい。 キスしてほしい。 長くて熱いキスをしてほしい。 だって、あの時の会議室で したきりなのだから。 そう……思ったけれど、 彼は私にキスをしないまま 手を引いて、部屋へと招きいれた。
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