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ちゃぷり、と湯船の中に浸かり、シエラは天井を仰いだ。指先に水を絡めて遊べば、まるで自分の体であるかのように感じた。湯の中に、頭まで全て浸かってしまい、目を開く。水の中でも、シエラは苦しくなどなかった。首元にあるエラが、水中でもシエラに空気を送った。むしろ、元来水棲であるシエラにとっては、水は故郷だ。自らの生きるべき場所である水中、湯船でぼんやりと一日を思い返すのがシエラの日課だった。とはいえ、思い出すのは大抵が靖真に関することで、その行為はどちらかといえば、毎日募る想いを整理し冷静になる意図を多く含んでいた。
「誰かと付き合ってる姿なんて、みたくないな」
靖真に恋人がいたか否かは置いておいて、少なくとも彼がシエラの前に女性を連れてきたことはなかった。それもあり、シエラは未だに彼が誰かと付き合って結婚をし、ふたりの世界が崩れていくという現実を受け入れられなかった。あの目が誰かを見て、あの手が誰かに触れて、その人でいっぱいになっていくであろうことを思うと、胸が潰れそうに痛む。
一方、もしそれが、自分に向けられたらと思うと、どくりどくりと心臓が脈打ってしまって苦しかった。
「好き」
告げてしまえば、元の関係には絶対に戻れないと知っていたから、シエラは水中で聞こえないように何度も呟く。呟く度に口から漏れる空気が浮かんで水面に消えていく。その泡は水面に消えて、水面を揺らす。まるで思いが溢れて水に溶けて、そして消えていくようで、その光景をぼんやりと眺めていくうちに少しだけ気持ちは落ち着いていった。
水を出れば、そこにはいつものシエラがいて、靖真とはいつもどおりの生活が待っているのだ。湯船から上がれば、表皮が急速に乾いていくような感じがした。しかし、服を着るには拭わない訳にもいかず、渋々体をタオルで拭いていく。
一滴二滴と体から液体が抜けていく感覚は二十二年生きていてもあまり愉快なものではなかった。服を着込んでからリビングへと向かうと、寝巻きを着た靖真がカタカタとパソコンを叩いていた。
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