水槽の魚の話

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「さぁ、いこう」  一人の真っ赤な瞳をした少年が声を上げた。それに背中を押されたように、多くの者が我先にと暗闇に射す光へ向かって駆け出した。シエラは、その少年が差し出す手を握った。その手は自分より小さかったが、瞬間、誰よりも頼もしかった。 「セレス」  少しばかり自分よりも年下の彼は、いつものように無邪気な笑みを浮かべてシエラに擦り寄った。 「シエラ、これで二人で生きていけるよ」  何の疑いもなく彼はそう言ったが、シエラはそう簡単にいかないと薄らと不安を覚えた。しかし、首を振りネガティブな感情を捨てる。ここに残って、売られた先で水槽に閉じ込められて、鑑賞されるだけの一生になるとしたら。それはもっと恐ろしい。そんな恐怖からセレスと、彼が連れてきたクロードと一緒に、住み慣れたペットショップを後にした。  しかし、所詮は子どもの足。管理課やショップ店員などがあっと言う間に追いつくことになる。野をかける羊のクロードや、夜を羽ばたく蝙蝠のセレスはいい。だが、シエラは水に棲むモノだった。逃げ足も彼らには劣るし、そもそも長時間水を得ることができないと脱水を起こしてしまう。しかも、路地裏とはいえ三匹が隠れ通すには無理があった。 「セレス、クロード、このままじゃ危ないから、とりあえずバラけよう。それで、また明日この路地裏で集まろう」  にこりと笑って、シエラは二人の背を押した。二人と行かなかったのは、足の遅さや体質もある。けれど、何より、シエラは髪も目も、鮮やかすぎるブーゲンビリア。一緒にいたら目立ってしまう。フードさえ被れば角や耳が隠れるクロード、そもそも飛んでしまえば逃げられるセレスとは訳が違った。二人は、特にセレスは何度も振り返ったが、彼が追いかけて来ないように、シエラは早々に背を向けて走った。  シエラ自身気づいていた。彼らの背を押した自分の手が震えていたこと。クロードのような能天気さも、セレスのような思い切りもない、臆病なだけの自分は一人では生きていけないこと。
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