水槽の魚の話

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「いや、正直……これってのは……」 「そうかぁ」  残念そうに言う靖真に、シエラは手に持った皿の水を軽く切り、拭きながら尋ね返した。 「靖兄は?」 「一途で家庭的で清純派、脚が綺麗だったら最高」  キリッという効果音がつきそうな位にきっぱりと言い切ったその清々しい顔に、シエラは溜息が出た。それに、靖真はけらけらと笑い、なんの予兆もなく、その腕をシエラの横についた。ゴツゴツとして、皮の硬い指先が顎をとらえ、靖真の方を向くようにくいっとあげられる。彼は口元を上げて言った。 「恥ずかしがるその子を、こうやってこっち向いてもらって、それから大事に可愛がってやりたい」  合わされた瞳は、シエラのよく知るものではなく、一人の男のものだった。でも、その中にはいつもの慈しみも溢れていて、ドキドキと心臓が耳元で鳴る様な錯覚を覚えた。指先に触れられたところが熱い。シエラの唇が動くその前に、靖真がにぃっと口角を引き上げ、その白い歯を見せた。 「っていうのとかに割と燃える。ま、男に向かってやることじゃねぇよな。ごめん」  けらけらと笑って指が離れる。その指先をシエラは無意識に目で追った。 その夜、シエラは優しい目がじっと自分を見つめ、骨ばった指が自身にゆっくりと絡みつく妄想で抜いた。誰かを意識したのは、それが初めてだった。  しかし、気付いたところでシエラにとってその恋心は、彼と暮らす上では邪魔でしかなかった。目の前に誰より好きな人がいるのに、一人でその想いを抱えて悶々とする日々が続くのだ。  身長を追い越しても、全然越えられそうにない背中を想う。近くにいればいる程、靖真との距離を遠く感じていた。
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