*誘拐

2/2
2798人が本棚に入れています
本棚に追加
/999ページ
 母は、いつの間にか実家の方向へ車を走らせていた。  心配し過ぎて今にも倒れそうな祖母と苛立つ父に熊本の祖父から電話がきたのは、午前0時を過ぎていた。  「勝手なことをするなら、私はもう娘達の面倒は見ないですよ!?」  さすがに怒り心頭していた父に、この時ばかりは 頭でっかちの祖父も平謝りした。  当然だ。  自分の娘を誘拐犯にさせたくないからね?  それとも、可愛い娘に幼子をふたりも抱えさせて苦労させたくなかった?  …私は祖父のことを、どうしても好きになれない。  母は、警察側に厳重注意された。  父は祖父の電話を切るやいなや、宮崎から熊本まで深夜の長距離を車を走らせて、私と姉を迎えに来てくれた。  私と姉は、疲れて眠りこけていたそうだ。  事件はこうして幕を閉じた。  母親に誘拐された、幼い私と姉。  母のこの行動を、母はそこまでして私と姉と離れたくなかったんだ、と捉えるか。  あるいは、自分の感情のみで突っ走って周りの心配と迷惑は考えなかったのか、と捉えるべきか。  どちらか選択を迫られたとしたら、私は答えに困る。  私には子供がいないから、残念ながら母の気持ちを理解することは難しい。  でも、これだけははっきりと解る。    身勝手な大人達のせいで、私と姉は振り回された。 何も理解できていない子供を身内の勝手な都合や感情で、あちこちつれ回されたのだから。    子供はおもちゃじゃないんだよ……  おばあちゃん、心配かけてごめんなさい…  心底私と姉を心配してくれたのは、祖母だけだと思う。  祖母は持病の心臓病を患っていた。  だけど、祖母が持病で苦しんでいる記憶はあまりない。  祖母はいつも働いていて、厳しい表情の中に見せる笑顔が、とても温かい。    祖母を思い出すと、胸がふっと軽くなって、そしてギュッと切なくなる…  保育園に通うことも温かいご飯を食べることもできて、祖母が側にいてくれた。  この頃の私は母親がいなくても何ひとつ不自由した記憶はないのだ。    当たり前のように平穏な日常が続いていた  そんなある日  祖母が緊急入院したのだーー。  母親代わりだった祖母を失う日が来るなんて、まだ3歳だった私には  酷な現実だった…。  
/999ページ

最初のコメントを投稿しよう!