第1章

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 深夜、突然目が覚めた。スマートフォンを見ると、二年前にこの地に流れ着いたのと同じ日付が表示されている。もう眠れないと確信したマルは外に出ることにした。頭のなかに形を成さない思考の断片が蠢いている。くっついては千切れ、絡まっては混ざり合う。無秩序にのたうっているのかというとそうではなく、確実にマルの空虚な胸を穿つ隙を窺っているのだ。夜の静けさは人をおかしくする。油断したら一瞬で孤独と人恋しさに食い尽くされてしまうだろう。マルはダウンジャケットのファスナーを喉元まで上げて逃げるように玄関を出た。  暖色の街灯はまばらで月は薄い雲に覆われている。ゆるりと流れる冷気が耳を締め付ける。ダウンの袖を内に引き込んで握ると、腕が縮こまって昆虫の脚のように見えた。 ──あは。わたし冬眠し忘れた虫だ。  凍てつく痛みから逃れるために体温を求めて彷徨うのがお似合い。でもどうせ冬は越せずに独りで凍え死ぬのだろう。  あてもなくうろついていると小さな児童公園があった。踏み固められた敷地には『きけん! のらないで』と貼り紙のされた滑り台がある。階段にこびりついた泥の塊、乾いて角が巻いている貼り紙、厚い埃に覆われた手すり。手入れも撤去もされず、存在さえも忘れられつつあるのだろう。忘れられ、そして朽ち果てていく。いや人々に忘れられたものは、はじめからなかったことと同じなのではないか。それは死よりも切ない。マルはしばらく滑り台を眺めていたが手すりを握ると、凍てつく金属を慈しむかのように埃を拭いながら、手が汚れるのも構わず一段ずつ階段をのぼった。階段と手すりはところどころ錆に侵食されて穴が開いている。足に体重を乗せるたびに金属の板は軋み、砂か錆か分からない粉が落ちて囁くような音を立てる。上までのぼり、踊り場に座って滑降部に両脚をあずけた。裏起毛のスウェットを通しても金属の冷たさが伝わってくる。マルは肩をすぼめ両手を擦り合わせた。冷えた空気が錆の匂いに包まれる。  この程度の気温で寒さを感じるなんて。この二年ですっかり体も変わってしまった。マルは子供のころ大雪の晩に家を抜け出し、月明かりのもと汗をかきかき一人で遊んだのを思い出した。このままこの滑り台と同化して、雨風に晒され風化してしまうのも悪くはないかもしれない。そんなことを考えたが、同時にこんな感傷は長くは続かない夜の眩惑だとも分かっていた。
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