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第2章
夜明け前に朽ちゆく滑り台で感傷に浸った日にも、いつも通り朝はやってくる。そしていつも通りの弁当屋でいつも通りに弁当を詰めいつも通りに客から金を受け取る。そんな生活にもすっかり慣れた。そしていつものように、仕事帰りにタペストリーに寄った。
刺激はないが安定はある。この毎日こそが少女のころから望んでも手に入らなかった穏やかな日常だったはずだが、落ちつけば落ちついたで不安定への憧憬がもこもこと頭をもたげてくるものである。
「いらっしゃいませ」
いつも通りの低い声でマスターが迎える。
さほど早い時間ではなかったが他に客は一人だけだった。マルはいつも通りおまかせのシングルモルトとドラフトビールを注文する。弁当屋の経営者の老人に教えてもらった飲み方だ。モルトウイスキーのストレートに、チェイサーの代わりとしてビールを合わせる。どちらも大麦を原料にしているので水よりも相性が良いという酒飲みの屁理屈だ。
差し出されたビールで喉を潤していると、先に来ていた男の客が音もなく隣に移ってきた。客層の良いこのバーでは珍しく露骨な客だ。とはいえ、あからさまに苦情を述べるのもスマートではない。
マスターが何かを問いかけるような視線を送ってきたが、マルは大丈夫とばかりに口を一文字に結び、平気な振りをして前を見た。不測の事態に慌てた姿を見せたら負けだと思っているのだ。何と戦っている積もりなのかはさっぱり分からなかったが。
隣の男はブランデーとスプリッツァーを注文した。不思議な取り合わせだ。初めて見るがビールをチェイサーにモルトを飲むのと同じ理由で、葡萄を原料にしたワインとブランデーも合うのかもしれない。とはいえワインの度数はビールよりはるかに高いから、これをチェイサーにしようと思ったことはなかった。しかし炭酸水で薄めたスプリッツァーなら良いパートナーになれるのではなかろうか。
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