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相当慣れた飲み手だわ……。マルは警戒心が急速に興味に変わっていくのを感じ、バックバーを見渡す振りをして顔を横に向けた。視界の端で男の顔をちらりと覗くだけのつもりだったのだが、マルの目の動きを逐一観察するかのような鋭い視線に射竦められて目が止まった。深い彫りに埋まった男の黒い目がじっとマルを見ている。太い眉に骨ばった輪郭。固く結ばれた肉厚の唇。悪くない。
「おまたせいたしました」
一瞬見つめ合うような形になった二人の間に栞を挟むように、マスターがブランデーグラス、続けて飲み口のすぼまったボルドー型のワイングラスを差し出す。グラスの底から細かな気泡が立ち上る。男は前に向き直り無言で少し頷くとブランデーグラスを右手に包んだ。顔の造作には似つかぬ繊細な指だ。中指と薬指の股でグラスの脚を挟み、球体を撫でるように手首を使って中の液体を転がす。マルは胸元が熱くなり、セーターの襟ぐりをつまむと二度三度はためかせて熱気を送り出した。男は今度ははっきりとマルに上体を向け、乾杯とでも言うようにグラスを持ち上げた。マルは努めて余裕のある素振りでウイスキーの入ったノージンググラスを持ち上げると男に応じた。
夜のバーで見知らぬ男が隣に座り、自分の顔をじっと見て乾杯を要求してくる。それが何を意味するのかはある程度経験を積んだ女なら誰にだって明らかだ。ただこの展開の早さはざらにはない。しかし予想外の状況でこそ、内心の混乱を隠してすべて想定内とでも言うように振る舞うのがマルの常である。それで何度痛い目に遭ったか分からない。
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