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怪談師
「今夜は遠方はるばるお越したまわり、誠にありがとうございます。
わたしの話を聴きにいらしてくださるなんて、まあ、物好きもいいところですけど。
せっかくの機会ですから、今まで誰にもお話したことのない、とっておきのやつを語らせていただきましょうか。
少しばかりグロテスクな内容ですから、ご気分がお悪くなったらどうぞ遠慮なく退席してください。
ただし、いただいたオアシは返却いたしかねますけども」
**
スズキケンタ(仮名)はいわゆる「出し子」であった。
振り込み詐欺で、銀行のATMからキャッシュカードを使って現金を引き出すだけの役割を与えられた、使い走りである。
それでも一回あたりに数万円、ATMから現金をおろすだけの仕事で報酬が手に入るのだから、ケンタにとっては充分に旨味のある仕事であった。
小中学校時代の同級生たちが、朝から晩まで会社に奉仕して得る一ヶ月の対価の二、三倍は稼いでいる自信はあった。
今回指示されたのは隣の町にあるJA、農業協同組合のATMから現金を引き出すことであった。
警戒が緩いのか、それとも誰も被害届を出さないのか、このATMから、老人を騙して入手したキャッシュカードで出金するのは、これで四度目だ。
他の金融機関分をあわせると、ケンタはこれまでに三十件以上の「出し子」を務めてきている。
中にはその詐欺がもとで自殺に追い込まれたり、夜逃げをした被害者もいるらしいが、ケンタにとっては「騙されるほうが悪い」であった。
ケンタはJAの近くにあるコンビニで、黒塗り大型セダンの運転席に座る男からキャッシュカードと暗証番号を書いた付箋を受け取り、なにくわぬ顔でJAに向かった。
太陽が西の空に沈む寸前の、黄昏時である。
この当時、銀行は一回あたりの引き出し限度額を決めてはいなかった。
振り込み詐欺事件が多数勃発し、被害総額が百億円を超えてから初めてその対策が取られるようになった。
そのためJAのATMでは、残高全額を数回でおろすことができたのだ。
ケンタにとっては、ちょろい仕事だ。
これからの数分間で、数万円の報酬がいただけるのだから、自然と鼻唄がこぼれる。
オレンジ色に染まる、JAの建物横の設置してあるATMコーナーへ向かう。
通りには誰もいない。
自動ドアを開け、三台あるATMの真ん中へ進む。
もちろんキャップを目深にかむりマスクをし、どこでも売っているような上下のスポーツウエアのスタイルだ。
防犯カメラ対策、というやつである。
ケンタはATMの画面を見下ろす。
液晶画面の「出金」をなぞり、手にしたキャッシュカードを挿入口に押し込んだ。
暗証番号を入力したあと、その数字が書かれた付箋を、ガムを放りこむように口に投じる。
証拠隠滅のためだ。
ゴクリと紙を飲み込んだ直後、ヴィーン、バタバタバタっと紙幣が札勘される音が機械から聞こえてきた。
一回当たり百万円までが入出金の限度なので、都合六回は同じことを繰り返さなければならない。
ガチャン、と音がして紙幣収納口が開いた。
ケンタはマスクの下でニヤリと笑む。
ふいに背中がゾクゾクッと違和感を覚えた。
ATMコーナー内には他に人はいない。
西陽がガラスをオレンジ色に染めているだけだ。
ケンタは素早く右手を紙幣収納口に突っ込んだ。
厚い紙幣の感触が指に伝わる。
後はこの掴んだ現金をそのまま抜けばよいだけだ。
ギュッと札束を掴み、右手を戻そうとした、その時。紙幣収納口の横側から突然骨ばった白い掌がグイッと突き出てきて、ケンタがお札を握る手を掴んだのだ。
「エッ!」
何これ?
どうして俺の手を掴むの?
いや、それよりも、どうやってどこから手を突きだしたんだ?
ケンタはパニックに襲われる。
あまりの怖さに右手を抜こうと力を込めるが、白い指はまるで万力のようにケンタの右手を絞めつけてくる。
「ちょ、ちょっと!
だ、誰か隠れてるのかよ!
放してくれよ!」
常識で考えれば、ATMの中に人間が隠れる隙間などないことくらいわかる。
しかも収納口のボックスの中で横から手を突きだすことなど、不可能なのだ。
ケンタの思考は悪事を働いていることへの背徳感と、この異様な出来事で正常に働かなくなっていた。
爪先で思いっきり機械を蹴り、靴裏を機械のボディに固定して右手を抜こうとするが、むしろ相手の爪が手の甲に食い込んできて激痛が走る。
オレンジ色に照らされていた室内が、暗幕を一気に下げたように真っ暗になった。
ATMの液晶画面だけがボーっと灯る。
そしてケンタは苦痛に顔を歪めながらも、ATMの防犯用ミラーに浮かび上がった二つの瞳に悲鳴を上げた。
真っ赤に充血した双眸が、ジッと見つめてくる。
「お、まえか、わし、のだいじな、だいじなぜにを、うばった、のは」
「ヒッ!」
「ゆる、さぬ、ゆるさ、ぬ」
ガチャン!
ガチャン!
ガチャン!
不気味な金属音が室内に響き渡る。
ケンタの捕まった両隣のATMから聞こえてくるその音は、なんと紙幣収納口のカバーが鋭利なギロチンの刃になり、開いたり閉じたりを繰り返しているのだ。
ケンタは泣き喚きながら、左手で白い手を掴んで引き離そうとする。
ガチャン!
ガチャン!
ガチャン!
ミラー越しの瞳が、ニタリと笑んだ。
そして、ケンタの右手が入ったままの紙幣収納口が閉じた。
ガッチャンッ!
**
「ケンタの絶叫が響き渡ったんですなあ。
そりゃあ痛いなんてえものじゃない。
それがケンタのおつとめの最後となりました。
御用、となったわけです。
今度は塀の中でおつとめしなきゃいけなくなったと、こういうわけです。
事件後にJAは、ATMを別の場所に移設したそうです。
人間、お天道さまに顔向けできない生活をしてはいけませんな。
ケンタはその後どうしたかって、お訊きですか。
塀の中で十分反省したようです。
片手の指が無くなっちまって、さぞ不自由だろうって?
それがそうでもないようでしてな。
その気になれば、いかようにも暮らしていけますわね。
えっ?
怪談師のわたしが、どうして右手だけ白手袋をはめてるかって?
へっへっへ、それは秘密ですよ。
わたしはこの右手で、おまんまを食わせてもらってますんでね」
了
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