1.それぞれの日常

7/32
前へ
/741ページ
次へ
 帰宅し、二人分の夕食を準備する。食器の後片付けをし、寝室に布団を敷いた時、何となくが気になった。  街で何度も名前を聞いたせいかもしれない。  自分用のクローゼットを見つめたまま、取っ手を引いて開けようとした。  右手の指先が触れる間際、腹部のあたりがブルブルと震えた。  あたしは小さく嘆息し、赤いエプロンのポケットに手を突っ込んだ。 『あ。もしもし? 今から帰るから』  鼓膜を刺激する恋人の声に、あたしはゆっくりと目を細めた。 「そう。お疲れ様。今日は早いんだね?」 『そうなんだよ。一応納期の目処も立った事だし、ここらで連日の疲れがたたってもいけないからって』 「ああ。課長さんが?」 『え。いやいや、違う違う。俺の判断』 「なにそれー」  自然と笑みが浮かび、畳の上に座り込んだ。暖房をつけていなかったため、足が冷えた。 『……あ。すみません』  電話口からよそ行きの声が聞こえた。どうしたの、と気になって問い掛ける。 『いや、今人とぶつかっちゃって』 「え。今どこ?」  もしかして、もう近所まで帰って来ているのだろうかと慌てて腰を上げた。
/741ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1017人が本棚に入れています
本棚に追加