1.それぞれの日常

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『まだ会社の近くだよ。じゃあもう電車だから、切るな?』 「あ、うん。気をつけて」  立ち上がったついでに、お風呂の準備をしておこうと思い立った。 「……慎ちゃんが帰るまで、まだ三十分もある」  こたつに入ってテレビを見ていれば三十分などあっという間だ。  しかし、あたしは居間の壁時計に目をやると、再び寝室へと足を向けた。今度こそ、と自分用のクローゼットを開ける。  洋服が掛けられたハンガーラックの隅に、あたかも隠すように置かれた三つの箱。  あたしは上から二つ目の箱を取り出し、蓋を持ち上げた。記憶に正しく、見慣れた日記帳が二冊とプラチナのネックレスが仕舞ってあった。  一冊の日記帳を手に取り、ページをめくる。自然と口角が上がった。  時々こうして過去を振り返り、高尚な想いにふける。これがあたしの贅沢な時間。  日記帳の日付けは今から六年前の四月。  過去の自分が書いた文章を見つめ、目を細めた。  満開の桜が空の青に映えていた、そんな春の季節だった。  ***
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