1.それぞれの日常

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 ーーやだ。あたしってば。いい歳してこんな所に座り込むなんて。早く立ち上がらなきゃ。  慌てて地面に左手を付いてみるものの、足の痛みから上手くいかず、早々に諦めた。  せめて人の流れが止んでからにしようと決め、羞恥をこらえ只々俯いたままでやり過ごす。 「大丈夫ですか?」  不意に頭上から声を掛けられた。空気中によく通る、若い男性のそれだった。  あたしはヒールの取れた靴を握り締めたまま、おずおずと顔を上げる。  ーーわ。綺麗な子……。  男の子に対して綺麗と表現するのは(いささ)か間違っているのでは無いか、とも思うが。あたしは目を見張り、彼の美貌に暫し魅了された。  薄い色素の、茶色の瞳が太陽の陽にさらされ、印象的だった。  しかしながら、見惚れるのも束の間。  目が合った瞬間、相手の男の子はあっと息を飲んだように見えた。多分あたしの目が若干潤み、半分泣いていたからだ。  あたしはまた耳まで熱くなるのを感じた。 「だ。大丈夫です。ちょっと転んだだけなので」  言いながら再び俯き、壊れた靴を見つめた。  明らかに年下と思われる男の子に心配されているのが恥ずかしく、むしろ立ち去ってくれても構わないと感じていた。
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