1.それぞれの日常

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「いたっ」  思わず顔をしかめ、その拍子に彼の手を離してしまう。 「え?」 「あ。ごめんなさい。ちょっと足、くじいたみたいで」  忘れていた羞恥心が再び顔を出す。  これ以上迷惑を掛ける訳にいかない、とりあえず立ち上がれたのだから後は自分で、と思うのだが。  彼はこちらの羞恥など気にも留めず、二の句を継いだ。 「あー。靴も歩きにくそうだし、家まで送りますよ?」  彼の提案に虚を突かれ、すぐさまパタパタと手を振った。 「いえ、そんな。大丈夫です。それにあたし車なんで、駐車場もすぐそこですからっ!」  言いながら信号機の先を指で差し示す。 「それじゃあ」とひとつ会釈すると、あたしは彼の脇を通り過ぎた。  高低差のあるヒールで何とか横断歩道を前にする。足取りは危うく覚束ないだろうが、それも一時の事。何とかなるだろう。 「あの、良かったら駐車場まで送ります」  再度背後から彼の声が届いた。 「え。でも」 「それとも迷惑ですか?」 「いえ、そんな」  とんでもない、という言葉を飲み込み、かぶりを振る。  そして再び差し出された彼の手を取ると、「ありがとうございます」と肩をすくめた。
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