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アンは蜜柑を買った。彼女の肌は彼女の設定年齢の肌より柔らかかった、そして澄んでいる。その澄んだ肌は熱した鍋に迫る赤子の様だった。
彼女は幾度か街の中でコケていた、その度にサイアンかカメヤマのどちらかが起こしてした。彼女はカメヤマにやめておけと言われたのにヒールを履いてきていた。
あの真紅のヒールはもう茶色に塗れていた。
カメヤマの服にはもうあの世界一の手品師だった頃の清潔感は消えたいた、彼の側を通るとレモンの様な香りがした筈なのに、彼の側を通ると今はもう汗と泥の匂いしかしない。服には茶色く濁った水滴が幾つも付いている。
しかし彼はシルクハットだけは綺麗であった。宇宙船の中でも靴を磨かず帽子だけ磨いていた。
手品師の命はシルクハット。
彼はそれが口癖だった、初めて彼が手品を見たときその時の手品師はシルクハットから鳩を出した、そのシルクハットから飛び出た鳩に手を向けて、空に飛んでいく鳩に手を向けて両手を広げてカメヤマは笑っていた。
シルクハットは彼の人生の目標だった、そのシルクハットに憧れて彼は薬学部を辞めた。夢を忘れるな。そんな事を死んだ父の青ざめて硬直した顔が棺桶の窓から言っているような気がした、だから彼はシルクハットへと向かった。
父の遺産のほんのり少しで彼が向かった、帽子屋で一番のシルクハットを買った。彼は余り贅沢をするタイプでは無い、良いものを使ったから上手くなる訳ではない事は当に知っていたけど彼は高級のシルクハットを買った。
彼が世界一の頃、そのシルクハットより高いのを買えた筈なのに彼はずっとそのシルクハットを使っていた。
思えば彼が手品師になって、芸能の世界に入って、一度も変わらなかったのはそのシルクハットだけだろう、靴下は変わって、服だって変わった、女だって、マネージャー、上司、社長、観客、同僚、友達。シルクハットだけは変わらず、彼の隣に、彼が痩せていた頃買ったシルクハットだから今の彼には小さかった。だから彼の頭の上にちょぽんと立っている。
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