じっちゃんの名にかけて

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じっちゃんの名にかけて

風が吹く度に花びらが宙を舞い、辺りを桜色に染めていく。 高瀬川の川面に春の終わりを告げる桜の花びらの絨毯が薄紅色の夕陽を浴びてキラキラと輝いていた。 もう時刻は五時過ぎ、ペダルを漕ぐ脚にも力が入る。 できれば”あいつ”との初対面は陽のあるうちにそんな想いで夕闇迫る河原町通りの人込みをかき分けていく。 それは一時間ほど前の事だった。 「じっちゃんが?」 「うん、近所の人から連絡があって・・・」 定休日でもないのに昼になっても店が開かない。呼んでみても応答がない。それでおかしいと思って御近所の方から母にメールを頂いたらしい。 「それで見に行ってみたら・・・」 「倒れてたん?」 「うん、蔵の中で」 「蔵の中? それで・・?」 「大丈夫、意識はあるんよ、今、お医者さんからお薬を打ってもおて死んだように眠ってはるけど」 「なんでそんなとこで」 「ほら、あのけったいな人形、ちょうどあの前で寄りかかるように倒れてはったん」 ── けったいな人形。 それは私が物心がついた時からそこにあったような気がする。 土蔵のなかの御守りさん、じっちゃんはいつもそう呼んでいた。      子供の等身大程のその人形はちょうど入口の奥まった辺り、壁を背もたれがわりにまるで駄々をこねるように足を投げ出して座っていた。 土蔵は昼なお薄暗くて、天井から吊るされた裸電球も辺りに申し訳程度の光しか送れない。 小さい頃から人一倍臆病だった私はそんなところに一人で入るのは勿論のこと、じっちゃんと連れだって足を踏み入れることもなかった。 ──今にも動き出しそうなんよ、触れば小首をコンて傾げそうな気もするし そんな三つ年上の姉の感想も私の脚をあの土蔵から遠ざけた原因かもしれない。 子供のころはその前を通るのさえ何か怖くて仕方がなくて。 でも怖いもの見たさなのか、ずっと気になっていたのは確かで。 「それがね・・・」 母は思い出したように声をプルルッと震わせた。 「病院から戻ったら元の場所にはなかったんよ、あの人形」 「なかったって・・どういうこと?」 「一階の居間。ほら、じっちゃんがお店番するときに据わってるロッキングチェア、あそこに座ってたん」 「い、居間に・・・」 それは私にとってはあまりにも衝撃的な出来事。勝手に動いたとか誰がそこまでも持ってきたとか、今はひとまずその件は置いておくとして、あの人形が今現在じっちゃんの居間に居るという事実。 「だから、沙羅陀。あんた、悪いけどそんな具合やからいつものようにお店番、お願いね」 「・・・」 「聞いてんのん、沙羅陀?」 「えっ、ちょっと待って、うち一人で?」 声を震わせながら腕時計に目をやる。もう時間は夕方の4時を回っていた。 窓から見える西の空にはもうオレンジ色のお陽さんが嵐山の上に腰を落とし始めている。 今から学校を直ぐに出ても、あの人形との衝撃の初対面は日が暮れてからということになる。 さらに・・ 「それで今夜はそのままそこで泊まってくれる?」 「なに、それっ。ひとりで?うちひとりであそこに一晩居ろってこと?」 「しようがないでしょ、じっちゃん大丈夫ってお医者さんは言わはるけど 目を覚ますのは明日みたいやし。今夜はママ、ここで泊まることになると思うし」 「・・・・・」 泊まりの店番。 それ自体には何の文句もない、というより寧ろ今までは好んでやってきた。 年に四回、じっちゃんは旅行が何よりの生き甲斐で、春夏秋冬、季節ごとに組合だの町内会だの旅行には決まって参加した。 そんな時はいつも孫の私に声が掛かる。 「お客さんには沙羅陀のファンも多いしお前が店におってくれたら安心して旅行に行ける」 京都の四条姉小路の通りに店を構える侘助(わびすけ)堂。そのおよそ百年、三代は続く店の歴史は三桁がざらにある京都の老舗のなかでは自慢できるほどではないけれど、それなりに市内では骨董品店としては名は通っている。 じっちゃんは京都の古美術商協会の役員でもあるしその方面の目利きとしても地元では知られた存在。 「さらだちゃんがボンボンやったら、三代目も行く末は安心やったのにな」 聞こえてくる常連さんの声はいつもわたしには優しい。 私が店に立てば「挨拶代わりや」と言って何かしら見繕って買っていってくれる。同業者のおじさん達はもう私をしっかりと仲間だと認めてくれている。 「通信簿は3以上はお目にかかった事はないけど、沙羅陀の人垂らしは満点や。 沙弥子に似て色も白いしべっぴんさんやし、先斗町に出しても恥ずかしゅうない女っぷりや。目利き覚えたらこの世界で天下とれるかもわからへんな」 そんなじっちゃんの声にいつも笑って首を振るけど、実は内心はまんざらでもない。 最近古美術関係の雑誌には良く目を通すし、週末のジョギングコースも骨董品店が多く軒を並べる寺町通りに足を向けるようになった。 もしかしたら私は骨董品や古美術といった、古いものやそういう類いの物が好きなんじゃなくて、じっちゃんの店がある、あの街の中に自分の居場所を見つけたことが嬉しいだけなのかもしれない。 でもそれでもいいと思った。 動機はどうあれ、私はこの世界に身を置くことを心から望んでいる。 300円の湯飲みにひとしきり蘊蓄をたれて買わずに帰るおじいさんがいる。 家の要らないものを毎週日曜に持ってくるおばあちゃんはうちを廃品回収と間違えてるみたいだ。 店のショウウインドウに置いてあるフランス人形を毎朝じっと見つめては名残惜しそうに学校へと急ぐ女の子。 いつかはその理由を聞きたいと私は機会をねらっている。 みんながこの侘助堂に求めているものはそれぞれだけど。 だから私の夢は侘助堂の4代目。 そこでの私はたいした野心も大それた野望も持ち合わせてはいない。 古い物と語り合いその歴史を見つめ纏わる人々と想いを語る。 夢って何かを何かを成し遂げるものではなく、自分の心地よさを追い求める物だと思ってる。 それはまだだれにも言っていない、細やかな夢。 侘助堂の恥ずかしくない四代目になる、じっちゃんの名にかけて。          
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