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碧色の瞳は十六夜の月明かりに揺れて
「もうこんな時間か」
旬兄さんの大きな手が私の背中をこつんとつつく。
「それじゃあ初のご対面といくか?沙羅陀」
「・・・・」
「見たこともないんだろ今まで」
小さく頷く。ふんともうんともつかない声が軽く開いた口のすき間から漏れた。
「ただ、果たして元のところにもどっているのかどうか」
「もーーっ、あのねーーー」
見たところ鍵はしっかりと掛かっているみたいだった。
居間からひょいと顔を覗かせれば通り庭の向こうに中庭を挟んで土蔵の大きな苔むした扉が見える。年代物の赤錆びた大きな南京錠はいかにもな顔をこちらに向けて侘助堂のお宝を守ってくれているようにも見えた。
「鍵は?」
「持ってる」
「持ってるって?ずっと?」
「うん」
家の鍵とお店の鍵と学校のロッカーの鍵、そしてひときわ大きい南京錠の黒光りする鍵。四つの鍵がぶら下がったもふもふの狐の尻尾のキーホルダーをリュックから取り出す。
「土蔵の鍵はじっちゃんと私だけなんだよね持ってるのは」
侘助堂は今までは土蔵のスペアキーは造らないのが常だった。
それを私の為だと言ってじっちゃんは作ってくれた。
自分が死んだら一つは捨てろと言って
「認めてんだよなぁ、雅のことを・・じいさんは」
手のひら一杯に広がる古びた鉄のひやりとした感触。じっちゃんからこの鍵をもらったことが私のこれからの夢の大きな支えとなっているのは確かだ。
外はまだ薄明かりが残っていた。
縦長の畳六畳ほどの中庭は真ん中が苔で覆われ、こんもりした小さな丘に人の背丈ほどの南天が二本、頭を垂れながら赤い実をこちらに向けている。両端にはLEDの電飾が埋め込まれた灯篭が一本ずつ、妖しい光を灯している。
「開けてくれる?」
いつもとは違う私の弱っちい声に旬兄さんの端正な横顔が相好を崩す。
「なかで歩き回ってたりしてな、あいつ」
土蔵の規模はそれほど大きくはない。京の洛中に店を構える他の老舗の店に比べると小振りなほうに入るらしい。広さは十畳ほどで頭上には今で言うところのロフトがひろがっているという話だ。
子供の頃から遠目に伺うだけで決して足を踏み入れることがなかったその空間。
前へ行く旬兄さんの後を追ってそろりと片足を中へと滑らせる。
「カビ臭いなぁ」
「ううん、でも良い匂い」
しっとりと辺りを覆い被すような深くて重い空気。
この匂い・・・
ここに入るのは初めてだけど京町界隈の何処の蔵のなかも同じ匂い。
それは私が大好きな匂いだ。
不思議だった。
その匂いに反応したように萎んで萎えていた私の心が動き出す。
見てみたい、この目で確かめてみたい。その子はどんな子なのか。
怖い気持ち悪い、ずっとそう思い続けていた気持ちがこの土蔵に足を踏み入れて
その空気感に身を委ねた途端、押さえきれないほどの好奇心が私の中の弱気の虫を打ち負かしていく。
「奥だよ、きっと」
はやる心を抑えきれず、ついつい体が前のめりになる。
「おいおい、なんだよ急に勇気づいちゃって」
微かに天窓から差し込む明かりを頼りに天井からぶら下がっている紐に手を伸ばす。カチンとしたしっかりした手応えとともに辺りが柔らかな裸電球の色に染められる。
「あれか・・・」
旬兄さんが指した指のその先にその子はいた。
入り口から見てそのまま正面の奥、ロフトへと上る急な階段の横に小さなソファの上で足をこちらに投げ出すような格好で座っていた。
背丈は1m20~30㎝程、ちょうど小学生の五六年くらいのサイズ感だ。
性別はぱっと見はわからない。耳を隠すほどの栗毛色の髪の毛がその小さな顔半分を覆って、間から覗く左目が淡いグリーンの光を湛えている。
その顔はリアリティーを追った蝋人形のようなものではなく時代を感じさせない
アニメチックな風貌といった方がいいのかもしれない。
尖った顎のラインがその表情に可愛さの中に精悍さを与えていた。ツンとした小ぶりの形の良い鼻に目尻の少しつり上がった大きな目。白い肌は少し青みを含んでいて瑞々しい程の透明感を感じさせる。
体にはどこにでもあるような紺地の紡ぎ織りの着物が着付けられている。
少し違和感を感じるのはじっちゃんが後から設えたものだろう。
ただ全体から来る印象は見た目は今にも動きそうなほどリアル。
それに旬兄さんの後から語った説明によると各部に使われている材質は水晶かそれに準じた透明感の強い鉱石ででできているとのこと。うっすらと見通せる内部の部品もそれなりに人体の理屈にかなったものが埋め込まれているようだ。
人間で言えば神経伝達装置のようなそれらしい複雑な回路もあちこちに散見されるみたいだ。そう考えていくとこれは単なる無駄に大きなフィギュアとはどうしても思えない。
「でもなんでこれをじっちゃんは売ろうとしたんやろ、それもメルカリで」
「要するにじいさんは売りたかった訳じゃなく人探しをしたかったんだと思うよ。
これを不特定多数の目にさらしてこれが何なのか解る人を見つけたかったんだと思う」
「でも色んな人が興味を持って見に来てたんやから、そんな人間に託せばいい話なんやないの?」
「違うんだよな、やっぱりおまえは分かってない。
よくそんなのでここ継げるって言えるよな」
「・・・・」
「それに、おそらくお義母さんにメールしたのはこいつだ」
「ちょ、ちょっと待って。なに言い出すのん、急に・・」
急に土蔵の中の温度が五度は下がった気がした。
人形のその口許に思わず目が行く。ほんのり薄紅色に染まったその唇が今にも何かを語りかけてくるようだった。
ただ、もう怖さや不快感を感じることのない自分に気づく。
「土蔵の中のお守りさん」
確かに今の詫助堂の蔵を守ってくれているのはこの子なのかもしれない。
そう思える自分がいた。
※※※
「おーぱーつ?」
しばらくはお互い言葉を忘れたように、この子と向き合う時間が続いた。
京都の春は4月と言えども日が落ちればまだ肌寒い日々が続く。
土蔵のなかは手が悴むほどではないにせよ、暖を取りたくなるぐらいの冷気ははらんでいた。
「おーぱーつって、古代人が造ったて言うあのオーパーツ?」
「たぶんそうだろうな。頭の部分が石膏で固められているみたいだけど覆われた部分を剥がすと水晶かなにかだろう」
「頭の部分全部?」
「うん、まぁ間違いないと思う。といってもほぼほぼ勘だけどな」
「ちょっとぉ、仮にも科学者やってるんやろ、勘って。何それ?」
「学者なんてみんなそんなもんだよ
まずはインスピレーションから始まる。理論は後付け、相場はそう決まってる」
「だったら、仮にそうだとしてだよ、なんでうちにそんな大事なもんがあんのよ?
それもずっと土蔵の中に人目を憚るように」
目を合わさないように気をつけてチラリと人形の方に視線を送る。
今にもこちらに小首を傾けそうなその”オーパーツ”
もしかしたら何か声をかければこちらに振り向くかもしれない
「じいさんはこの人形はこの家から一歩も出したことがない、そう言った。
それは間違いないよな」
「うん。だからそれがなんなん?」
「まぁそう突っかかるな。話は長くなるんだから、お茶ぐらい飲ませろよ」
そう言ってどこから引っ張り出してきたのか古伊万里の急須に抹茶のティーパックを無造作に放り込みポットの湯を注いだ。
昼なお暗い土蔵のなかにお茶を出す用意が一式セットされているのはじっちゃんがここにもお客さんを迎え入れてあれやこれやとお宝に話の華を咲かせる為なのだろう。
「フフッ、これだから、学者さんは」
「うん?」
「その急須」
「これがなに?」
「聞いたら手が震えるよ」
「高いの?」
「値段もやけど、なんやろ、学術的価値?」
「だれかが使ってたとか、そういうのか?」
「うん、利休が晩年愛用してた物って、じっちゃんが言ってた」
「ちょ、ちょっと、待っ・・・」
「ほら、震えた、フフフッ」
嘘か誠か、じっちゃんが言うところには詫助堂には国宝級と目されるらしいお宝が国立博物館で展覧会を開けるほどに揃っているらしい。
じっちゃんの評価額にすると数十億。骨董屋は言ったもん勝ちの世界だから売値の値付けは当主の裁量とされる。はったりをかませてそれなりの値段を吹っ掛けるのも骨董の商いの醍醐味だとじっちゃんは嘯く。
「で、お値段は?」
「旬兄さんの年収ぐらいかな」
「お買い得だな。それはいくらなんでも」
「フフッ」
二人のそんな会話の背中の向こうでゆるりと小首を傾げる妖しい人形。
天窓から差し込む十六夜の仄かな月明かりを受けて碧色のその瞳は仄かな光が宿る。
それを知ってか知らずか土蔵の中の二人の夜はゆっくりと更けてゆく。
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