ポヨと沙羅陀と出雲王朝

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ポヨと沙羅陀と出雲王朝

チョークを持つ手が黒板を滑る度にさらさらとした金髪がふわりと揺れる。 長くて白い女性のような指がこつこつと小気味いい音を刻む。 UCLAのグレーのスエットの上下に無造作に羽織ったよれよれの濃紺のブレザー。 ナイキの白のスニーカーを踵を潰して履くそのスタイルは西海岸のヤッピースタイルを思わせる。 そっと窓から忍び寄る春の陽射しが彼の端正な横顔のシルエットを浮き彫りにしていた。 「はぁーーーあ」 「聞こえるやん、葉月ぃ」 まるで教壇へ届けとばかりの大きな溜め息に思わず諌めるような声が出た。 それでも彼女の壇上の憧れの君は何事もなかったかのようにチョークを走らせてゆく。 京都東山女学院臨時講師、如月ポヨ。 正式には如月PAUYOというんだそうだけど誰もちゃんと発音してくれないので日本名はそのようにしたらしい。 担当の日本史の先生が産休で休暇を取った為のいわゆる産休代替補助教員。 国籍は不明。本人は自分のお国の事は多くは語らないので、言語その髪の色、肌の色から察するに北欧系の血が25%~50%は入っていると思われる。 背丈はいつもドアの枠をひょいとかがめながら教室に入ってくるので190は裕にあると推測。     八頭身、いや九頭身はあるかと思えるそのスタイルはスーパーモデル並みだ。 ショートヘアーのウエーブのかかった金色に輝く髪。薄淡いブラウンのその瞳。 それはまるでリカちゃん人形の世界の白馬の王子様を思わせた。 「喋らなければね」 その通り。 葉月の恋心は今や理想と現実の縁を行ったり来たり。例えるなら、理想のリアルフィギュアを目の前にして慌てて買い物カゴに入れたものの、少々難ありの札を見つけ途方に思案にくれる少女の有り様。 「こら、そこ!うるさいねん、静にしいや!」 関西ネイティブなら誰もが吹き出してしまうほどのそのイントネーション。 いったい何処のだれがこの人にこんな関西弁を吹き込んだんだろう。 「先生、質問いいですか?」 「葉月?」 私の心配をよそにいたって真面目な顔を愛しの君に向ける、沢野葉月。 そんな一途な想いを見ていられなくて思わず手を挙げた。 「何や、珍しいな。音羽が質問やて」 「いいですか?先生」 「ええやろ。言うてみてみ」 ぷっ、言うてみてみって、あちこちで上がるくすくすの笑いの波。思わず吹き出しそうになるのを必死に堪える顔がここそこに並ぶ。 ポよ先生の授業はこれの繰り返し。本人はいたって真面目なんだけどこれのおかげで 授業が全然頭に入らない。 「沙羅陀ぁ、何言うのよ」 立ち上がった私のスカートの裾を親指と人差し指で引っ張りながら囁く葉月。 そんな彼女に構わず私は視線を真っ直ぐ前へと向けた。 彼の手は止まったものの背はこちらに向けたまま、そのままの体勢でこちらの言葉を待っている。 「先生って・・・」 ささやくような仲間達のざわめきが一瞬止まる。その静寂に後押しされるように沙羅陀が口を開く。 「先生って、いったい何者なんですか?」 「ちょっ、ちょっと沙羅陀!」 「授業と関係ない話はお断りや。座ってええで、音羽沙羅陀。」 少し間を置いて彼は早口でそう言った。 そして取り付く島もなく何事もなかったかのようにチョークを滑らせ始める如月ポヨ。 「だから、あの・・・」 「やめときな、音羽」 後ろの席からシャーペンの先で背中をツンツンとつついたのは学級委員の 秋元紗也。 「あれを書き始めたら 止まんないから あいつ 」 それは言われなくても分かっていた。既に”あいつ”は黒板一杯にいつもの絵図を描こうとしていたから。持っているのは白のチョークだけではなく赤青黄、色の三原色をきっちりと網羅し左手に 握りしめている。 おそらくこれから私達の目の前に広がるのは古代弥生中期から後期の絵巻物語。 「どういうんだろうね、もう授業の残り10分もないのに。 途中でチャイムなっちゃうよ」 秋元紗也。声だけを聞いているどこの奥様?と言いたくなるような年齢不詳のセクシーボイス。でも見たなりはちゃんと東女お嬢様ルックを踏襲している正統派JKだ。 「また携帯に撮っとけて言うんだよきっと」 横から葉月が肘枕のまま唇だけをかくかくと動かす。 「ただこの早さでこの絵面は天才的だけどね 「確かに・・・」 紗也の声に沙羅陀が溜め息混じりの相づちを打つ。 黒板の両端に描かれた小さな銅鐸と真ん中に描かれたひときわ大きな銅鐸。 その周りで田植えにせいを出す古代人の人々。狩りをする人、釣り棹を川に垂れて大きな魚を吊り上げる人。銅鐸の音につられて踊りに興じる人々。花が咲き蛙が鳴き水田の上にトンボが舞う。稲穂が揺れるその光景は秋の収穫で一年のイベントが終わる弥生時代後期の春夏秋冬の絵巻物。 白のチョークと赤青黄の三色だけで描いたとは思えないような極彩色の絵面。 毎回描かれる景色は微妙に違うけれど基本的な趣はほぼ変わらない。 これを初めて見たとき菜月は「この人きっとこの時代を生きてたんだよ、そうじゃなきゃあ、描けないよこんなの」そんな言い方をした。     周りを彩る装飾品の数々。もうすぐ終業のチャイムが鳴る頃なのにまだ彼の手は止まらない。馬や鎧兜の埴輪。刀剣、銅鏡、鍬鋤等の農工器具。子供に見えるのは古墳を守る人形だろうか。それとも人身御供として差し出された少年か少女か。髪の毛の間から覗く碧い瞳に憂いを湛えたその表情は寂しげで・・・ 「うん?・・・ちょっと待って?」 土の匂いがした。閉め切られた教室のなかでそよぐ風を感じた。 なに?このツンツンと胸の奥をつつかれた感覚? 遠い記憶が甦って来るような切ない想い、いつか見た景色が周りにふわりと浮かび上がる。 「どこかで私はこの景色に出会ってる・・」 「どした、音羽?何ぐちゅぐちゅ言ってんの」 「沙羅陀ぁ、また変なこと言わないでよん」 そんな紗也や葉月の声も春の光の中に溶けていく。 そう、私は確かにそこにいたんだ。なにかが誰かがそう教えてくれていた。 風の囁きが聞こえる。揺れる稲穂の黄金色の輝き。 風薫る古代の息吹が目の前にあった。 そう、そこは太古の幻の国、出雲王朝。 私はその時、誰かを通してその世界を見ていた。何かを媒体としてその世界に身を置いていたんだ。 紀元前100年のその時代に、二千年の悠久の時を乗り越えて・・・
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