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研究室に着いたのは、7時少し前だった。
昂平の朝練はいつも、7時半過ぎぐらいから一時間弱だ。
大学の一限は8時40分からなので、学生も講師陣も、まだ学内にはほとんど姿が見られない。
永瀬の淹れたコーヒーと、朝一で買ってきた焼きたてのパンを、二人は研究室で楽しんでいた。
二人しかいない研究室は、久しぶりに永瀬のほんわかムードが漂う居心地のいい空間で、昂平はホッとする。
もういっそ朝練休んじゃおうかな…なんて昂平らしくない考えが頭をよぎるほど、家で寛いでいるのとはまた違うその感覚。
「昂平君、クリームついてる」
だから、永瀬がそう言って、昂平の唇の端についたクリームを、自然にペロリと舌で舐め取ったりしても気にならなかったのだが。
その瞬間、がたん、と音がした。
二人は、はっと入口のほうを見る。
そこには、早川が立っていた。
昂平は、頭が真っ白になる。
見られただろうか?
見られたとして、何かまずいことになるだろうか?
永瀬の准教授としての立場で、学生と研究室でキスをしていたら、問題になるだろうか?
相反して、永瀬は逆に冷静になった。
見られただろうか?
ならば、逆に都合がよかったかもしれない。
昂平の立場だけは守らないといけないが、早川ははっきりわからせないとどんどん押してくるタイプだ。
このぐらい見せてちょうどいい。
「おはよう、早いね、早川君」
永瀬は何事もなかったかのように微笑んで、早川の顔を見た。
彼の意に反して、早川は全く動じていない。
見えていなかったのか、それとも、以前から感じていたように物凄く図太いのか。
「おはようございまーす、先生いつも早いみたいなんで、早く来ちゃいましたぁ」
軽い口調で、彼は言った。
その瞳は、昂平を見ている。
「先生、約束ですよ…そっちの彼、紹介して下さい」
ニコッと笑って、彼はズカズカと二人の側に寄ってきた。
「俺、早川翔悟」
そう言って、昂平に向かって手を差し出してくる。
何故自己紹介されているのか、よくわからない。
永瀬とキス紛いのことをしている現場を見られたのかどうかで頭がいっぱいだった昂平は、差し出された手をまじまじと見つめた。
握手を求められているのだ、と数回瞬きしてから、やっと気づく。
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