第9話: 怪蛇の願いは濃霧に消ゆる(上)

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丘を登りきると、森は木々の密度が上がり内部が薄暗くなった。それでも一般に言う森林よりかは光が差し込むようで、地表は地衣類やコケでおおわれている。 この地方は比較的降水量が多く、細い半島ながら年中水には恵まれている。それは森も同じであるようで、丘からくだった先……地理的に言うなれば‘谷’にあたるエリアは土がしっかりと水を含んでいる。土を踏みつけるとじんわりと水を湛え、周囲はシダ植物やランのような草本が豊富に生育している。 少し暗い空間に溢れる緑は、「湿潤な森」という表現が良く似合うと言えよう。 さらには、この森の美しい雰囲気を象徴するものが、森の中を舞っているのである。 「…この森、こんな綺麗なとこだったんだね…」 ヘロヘロになりながらカルナが呟く。 3人の進む道には、蛍のような光の玉がふわりふわりと漂い、薄暗い林内を適度に彩る幻想的な景色をつくりあげていた。 学生らはモンスターの討伐実習などでこの森に入ったことは少なからずあるが、人の手の入ったごく表面的な部分までしか見たことがないのだ。 この森本来の姿が見られる奥地には、数々の危険なモンスターが確認されており、流石に実習で入らせてはもらえなかったのであった。 「燐光虫だね。もう居るんだなぁ…」 カイアが答えた。 「このヤルバンの森が、世界中からも美しいと評される理由がコレさ。春早くから秋の暮れまで、この苔むした森の中をホタルの1種、燐光虫ことカラビダ・ミクロソラリアが舞うのさ。」 カイアは知った口で語る。なんせ、カイアらはこの街の端の田舎出身である。森が歩いてすぐの所で生まれ育った身なのだ。 そしてそのような場所の男児達は、何かと己の名声をかけてこの森へ挑んだものだった。 無論、親や学校には無断である。バレたらどこの家庭でもド説教待ったナシだ。というのも、この森に探検と称して入って帰らぬ者となった小学生〜大学生は、毎年数しれないのである。 そんな危険な生物の跋扈する森ではあるが、‘歩き方’さえ分かれば寧ろ自然界では安全な方だ。カイアは幼い頃より、ロンと2人でこの森の歩き方と生物を見て学んできたのだった。 「これは確かに美しいですね。旅の思い出に写真を残しておきたいくらいです。」 ティナも目を輝かせながら、あたりを見渡している。 美しい景色を静かに堪能する2人はお構い無しに、カイアは一人語る。 「でね?今はまだみたいなんだけど、夏くらいになると地面にもこの光がラメみたいに散りばめられるんだ。それが燐光虫の幼虫で………」 「はいはいオタクは黙れ。」 カルナはカイアをどつきながら言った。 「ぐっふ…………」 どつかれたダメージと心のダメージで、カイアはすんなり黙り込んでしまった。 自分の知ってることになるとやたら語り出す人間は数多いが、多くの場合迷惑なのである。初めてこの景色を嗜むティナとカルナにとっては、虫の知識など美しい景色を台無しにする情報でしかなかったのであった。 「この辺からは気性の荒いモンスターが増えてきます。十分注意してください。特に、ラプトル・プロトペリスの群れが見えたらティナさんはカルナを抱えて木の上まで退避してください。」 しょんぼり気味ながら、カイアは注意喚起をした。 ラプトル・プロトペリスとは、このヤルバンの森の燐光虫発生域…ざっくり言えば森の奥地に生息する中型爬虫類である。 全長2.8mほどになり二足歩行で足は速く、前足と後ろ足にはナイフのように大きく鋭い鉤爪を有する。視力も高い上に群れを成し、目線の高さがほぼ同じ人間はもちろんのこと、自身より大きな家畜にすら積極的に攻撃を仕掛ける危険なモンスターだ。 メタな発言をしてしまえば、名前の通り「恐竜映画に登場する、素早くて賢いアイツら」である。 この世界のラプトルは羽毛に覆われたものが多いが、こと湿潤なこの森に生息するプロトペリス種は、苔色に暗緑色のバンドが特徴的な皮膚が露出した容姿をしている。 恐竜映画といえばのアレに出てくるソレをうっすら緑色に染めていただければ、ほぼほぼプロトペリスの完成だ。 「高いところから狙撃ですね。了解しました。」 周囲の景色を楽しんでいた無邪気な顔から一転、キリッとした表情でティナは返事をした。 「それと、同じく群れるブラックハウンドも高いところへ避難すれば安全です。あ、あと所々にある茂みには足を突っ込まないでくださいね。運が悪いとサーペントに咬まれます。」 ブラックハウンドは名前の通り黒い野犬だ。体長1.5mほどもあり、少人数で行動しているとよくこれに狙われる。 燐光虫の居ない人里周辺にもよく出没するため、害獣としてはこの地域で最も一般的な動物である。 サーペントとは、一言で言えば毒蛇のことだ。この森にはヤルバネンシス種が分布しており、第1話でカイアが抱えていたのもこれである。 ダイヤ柄をした黒茶色の革はクラシックな美しさがあるのだが、残念ながらなかなか共感は得られない。みんなコイツの革の財布使ってたりするくせに酷い話である。 「お詳しいんですね。歩き慣れた方がいらっしゃると助かります。」 ティナは言った。 「…おだてちゃダメなんだけどな…」 カルナがよそを見ながらボソリと呟く。 「あ、ありがとうございます!あ!そうだ!木の上は比較的安全ですが一応上空にも翼長4mくらいの鳥が……」 調子付いたカイアは思わず早口で語り出す。 「ほら言わんこっちゃない。」 カルナはため息混じりに呟いた。
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