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聞き違えたか、と顔を上げると、変わらず優しい笑みがある。
宇宙人?
「『私は名探偵だ』と言ったら? あるいは逆に殺人犯の、文字通り決死の逃避行とか。未来の世界へ帰る旅人かもしれないし、零時と共に成仏する霊かもしれない」
妄想を、飄々と彼女はまくし立てた。少し困惑しながらも、黙ってその語りを聞いていた。
「変な言い方だけれどね。大切なのは、これらの私に対する背景が、旅の上では全く問題ではないこと。君の《純粋な孤独》を超えて、旅人は相手を深く知る暇もないから、今の相手を見るしかないのよ」
僕らは歩みを止めない。
「私たちは、他人だよ。なあなあの友情でなく、かりそめの愛情でもなく、旅先で会話しただけの赤の他人――でも、この赤は、薔薇みたいな赤だと思う。一瞬だからこそ、強く繋がろうとして、絆が生まれるの」
その言葉を聞いて、少しだけ分かったことがある。ここまでの内にだんだんと、僕の中でツバメさんへの恋愛感情が募っているのだと思っていた。しかし違った。
この人のようになりたい。それは、遠い世界にいる彼女への強い憧憬だった。
哲学の道の終点もまた小ぢんまりとして、今出川通へと出た。地図によれば右手に歩き進めると、銀閣寺へと続く登り坂があるらしい。
「私は、銀閣寺へ行くよ」
「僕は、オープンキャンパスです」
呆気なく僕らの二人旅は終わりを迎える。行く先は真逆で、これが本来の僕らの道なのだ。
「……あっという間でしたね」
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり」
彼女は言う。芭蕉も、一期一会を惜しんだのだろうか。僕は、普段あまり感じることのない感傷に浸ってしまった。
すると唐突に、彼女は赤のナップザックを降ろし、手探り、奥の方から何かを取り出した。
「これが文字通り、旅の栞ね。あげるわ」
「え?」
僕は驚いた。それは彼女が『藪の中』に挟んでいた栞なのだ。
「いや、必要でしょう。これは」
「違うわ、二枚持っているの。同じものが二枚」
厚紙でできた栞には、蒼の上で舞うツバメの絵が描いてあった。ここでようやく、彼女にとってツバメという名が大きなものであると知ったのだ。
「『大切なものは目に見えない』とは言うけれど、見えるものも大切にして欲しいのよ」
ツバメさんの手から受け取った。紙にも、ぬくもりは確かにあるのだ。
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