苦渋

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「やっと、終わった~」 中田は天を見上げた。 社長室を出ると柱にある時計は11時を少し回っていた。 社長室に入ってからこんなにも長い間、いい歳した男がひたすら頭を下げた姿勢で時間が過ぎるのを待っていたのだ。 窓の外を見ると晴れ晴れした快晴の空で太陽の光が自分に向けて降り注ぐ。自分の現在の心境とはあまりにかけ離れているように思えた。 職場内を見渡すと乱雑に散らかった机が並んでいる中で何も置かれていない席が1つあり、そこだけ一際目立って見えた。 そこには先月まで猿渡が座っていた席だ。 中田はそれにはなるべく気づかない素ぶりをして周りを見渡してみる。数十人が座って仕事をしているが皆目線を合わせようとしない。先程まで社長に叱責されていたのが知れ渡っているのだろう。皆が目の前のパソコン画面を見つめている。この重苦しい雰囲気をどうにかしたかったが罵倒と追及で心身ともに消耗していてどうにも出来そうにない。 いつもの朝なら自分から部下1人1人に爽快に話しかけ笑いを誘い如何にも失敗やミスにも大らかな対応して人生の先輩ぶり、寛大さを表現しているのだが自分の身に降りかかるとそんな余裕はない。 叱責されながらも考えたのは業績低下の原因である猿渡の現在の行方を調べてなくてはならない。 誰かいないか。あいつのことがわかりそうな奴は。少し離れたところに女性が目に留まった。もしかしたらあいつならわかるかもしれない。気が強く、愛想が悪いからあまりはこちらから率先して話しかけたくないがこの状況では仕方ないと諦める。人事の吉岡のそばに近づいてみるとパソコンに何か文章を入力している。 「吉岡君、ちょっといいかね。先月辞めた猿渡は今頃どうしているか知らないか」中田は吉岡の肩に手を置いてさりげなく質問してみた。 「部長、私が知るわけないでしょう」 すぐに手を払われ、パソコンの画面から視線をピクリとも変えず、素っ気のない返事が返ってきた。朝から非常に重苦しい心情にさらに塩を塗られた気分だ。 こいつがわからないなら他に知っている奴を見つけないといけない。 「そうだよね。ちなみに高滝(たかたき)はどこに行ったのかわかるか」 「高滝さんは得意先に直行です」 「そうか。ありがとう」
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