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『周りの人が皆幸せそうに見えて』
雲一つない晴天の下、人々が行き交う街中を目的もなく歩いていた。
自分の曲を業界人にアピールし続けて5度目の敗北。
「悪くない」と言われても、けして首を縦に振ろうとはしてくれない。
生半可な気持ちで始めたわけではないけれど、数回に渡り認めてもらえない事で、徐々に自信を見失っていった。
このまま続けた方が良いのか、潔く諦めるべきなのか…そもそも5回の答えで自分に才能がない事は決まっている気がするのに…何度も諦めようと他のことに目を配ってみても、結局行きつく先にはギターがあって、一人で歌ってみてはまた夢を追ってしまうのだ。
上手くいかない自分とは反対に、充実したような顔で通り過ぎて行く人々。
そこに嫌悪感を感じる中、不意に見覚えのない道が視界に入る。
『…あれ、こんな所に道あったかな』
ビルとビルの狭間に細い一本道。
向こう側が開けているのはわかるものの、そこに何があるのかまではわからない。
もしかすると穴場的な店でもあるかもしれない…冒険でもすれば少しは気が晴れるか…。何かに縋りたい。考える事に疲れていた自分はその一心で、細道へと足を向けた。
足元には空き缶や虫の死骸、掃除が行き届いていない時点で、この先に店は無い事は明白。
だが敢えて道を引き返したりはしない。
『あー、やっぱりハズレか…』
そこそこ長い道を抜けて開けた空間へ踏み込むと、やはりそこに店や建造物はなく、ただ空き地が広がっているだけだった。
足元には草が生い茂り、空き地の中心部には土が盛り上がっていて小さな丘となっている。
そして丘の上には不自然さすら感じるくらいに堂々と聳え立つ一本の木。
『…私有地かな。入ったら怒られるか』
ダメだと思いつつも人気のない空間は居心地が良く、少しだけなら…と足早に丘を登っていった。
天辺に着いて近くで見る木は、遠くから見るよりもずっと逞しく、でもどこか物寂しさを放っている気がする。
『何の木なんだろう…』
まじまじといくら近くで見てみても、植物を見極める知識などはなく、首を傾げてすぐに考える事を辞めた。
誰もいない空間。よくわからない木と流れる風にあたりながら、心はとても穏やかな気持ちになる。
このまま何も考えずにいられたら…。そうも言ってられず、小さな溜息をついて重たい足を上げる。
考えたくなくても考えなければいけない。
フラフラしてる間にも時間は刻々と過ぎていくし、自分にそんな余裕などないのだ。
そう思いながらゆっくりと丘を降り、そのまま振り返ることなく空き地を後にした。
ーー・・
その後も朝起きて、バイトに行き、帰ってきてはベッドで横になり、天井の染みを数えるような、変わり映えない日々を過ごしていた。
まるで毎日同じ時間の中に囚われて生きている様な気持ちに陥っていく。
『最近ギターに触れてないな…』
あの日以来、自分の中で生まれてしまった少しの諦めが邪魔をして、音楽と向き合う事を辞めてしまった。
今のままでは何も残せないで終わる…自分の夢はその程度だったのだろうか。
枕を抱いて目を閉じると、そんな自問自答を繰り返しては己を責める事しかできない。
『…わかっちゃいるんだよ』
やらないと何も始まらない。やり続けなきゃ何の意味もない。諦めて終わるだけの夢なら、ここまで悩んだりもしない。わかっていても身体が動かない。認められない事が怖い。全然自分に自信が持てない。
ずっと歌う事が好きだったのに、大人になってからは現実の厳しさを知ってしまった。
悩んでいる今この瞬間にも、貴重な時間が砂の様に手からすり抜けていくのに、今はもう心から歌いと思えない自分がいる。
しかしその自分に辞めてしまえと背中を押せない自分もいるのだ。
このままでは煮詰まってしまう…そう思って外の空気を吸うため身体を起こす。
軽く伸びをして窓の外に雨が降っていない事を確認し、ゆっくりとベッドから立ち上がり部屋を後にした。
日中と比べて静かな街並み。灯がポツポツと道を照らし、所々でほろ酔いの人が幸せそうな顔で家路を急ぐ。
コンビニの前では電気に集まる虫と若者。仲間達と今この瞬間を楽しんでいて、みんなそれぞれの今を生きている。
そんな中で自分は…夢を見失って目的も持たずにフラフラと歩き、このまま腐ってしまうのではないかと恐怖すら感じていた。
晴れることのないモヤモヤをどこかで解消できないかと歩いていると、不意に先日の空き地を思い出す。
何もない場所だからこそ、夜に行ったら真っ暗なんじゃないかという不安もあったが、一から物を考えるには余計な物がなくて逆に適していると思ったのだ。
『行ってみるか…』
記憶を頼りに空き地の方へと足を進める。
ーー・・・
ビルの合間を通り抜け、数日ぶりに見た空き地には、あいも変わらず人の気配はなく、凛々と恋を求める虫の鳴き声だけが響き渡っていた。
しかしそんな中で一際存在感を放っていた木を目にして衝撃を受ける。
「…ライトアップされてるみたいだ」
思わず声に出てしまう程の幻想的光景。
もちろんライトなどはなく、照明具もないに木の周りがぼんやりと明るく照らされているのだ。
もしや何か力のある木なのか…?と一瞬非現実的な考えもしたが、空を見上げてみると雲の切れ目から月光が漏れており、それが偶然にも木を照らしている事に気付いた。
謎が解けた事に一息つき、また一歩ずつ木へと近付く。
そして徐々に木との距離を短くしていると、不意に小さな音が聞こえて慌てて立ち止まる。
虫の声に混ざって聞こえる微かな音…目をよく凝らして木の向こう側を覗いてみると、自分よりも僅かに小柄な少女がこちらに背を向けて立っていた。
この空間に自分以外の人がいる事に驚き、心臓は強く脈打ち始める。
『先客か…帰ろう』
このまま気付かれても気まずくなると思い、ソッと足を後ろに引く。
しかし帰ろうとした矢先に少女の異変に気付いてしまう。
『どうしよう…』
去らねばと思うも、自分の中のお節介がついマジマジと視線を向け、声をかけろと囁いてくる。
『あー……』
わしゃわしゃと頭を掻き乱すも、結局見て見ぬ振りができず…後ろに引いた足を前に出し、驚かせないようにとできるだけゆっくり近付いて行った。
その間にも少女が自分に気付く様子はなく、ただか細い身体を小刻みに震わせては、ワンピースの裾を揺らしている。
ようやく手の届く距離まで近付くと、怪しい人と思われない様、できる限り低姿勢でソッと声をかけた。
「…ねぇ、大丈夫?」
努力虚しく、彼女は「ヒャッ」と肩を上げ、凄い勢いで振り向いてくる。
その瞬間、耳にぶら下がるピアスがチリンと高い音を響かせ、茶色がかった大きな瞳には、同じく驚いた表情の自分が映っていた。
きっと一瞬…だが何分とも思わせる長い時間、どうする事もできずお互いが顔を合わせたまま立ち尽くす異様な光景。
彼女はキョロキョロと周りを見渡し、再びこちらに目をやって顔をまじまじと覗き込んで、ようやく第一声を発してきた。
「あっ、私ったら、すいません!!」
「や、大丈夫…寧ろ大丈夫?」
「全然大丈夫です!私以外の人がここにいる事に驚いちゃって…!」
そう言うと彼女は手の甲でゴシゴシと目を擦り、相当珍しい物でも見るかのように、改めてキラキラした瞳でこちらを見てくる。
茶色い瞳と薄いピンクの長い髪、か細い身体に白いワンピースと片耳に光るピアス。
一見派手な見た目の彼女の存在自体が不思議でならない。
「そっか…ここにはあまり人が来ないの?」
「ですね…特に何かある訳でもないので。いつも私が陣取っちゃってます」
そう言うと彼女は人差し指でポリポリと頬を掻きながら、へへーっと苦笑いを浮かべていた。
人の来ない場所と不思議な少女…面白い展開になってきたなと胸が高鳴る。
それはまるで、初めて見る名も知らぬバンドの音に魅せられた瞬間と同じ感覚。
「そっか…ごめんね、勝手にテリトリーに入っちゃって」
「そんな!全然大歓迎です!!居着いても良いですよ!!!」
ブンブンと頭を振ったと思ったら、キラキラした眼差しのままで一気に距離を詰めてくる。
そして自分の手を強く握って来たと思うと、次にはブンブンと上下に振るのだ。
初対面の人間に対して、こうもわかりやすく歓迎の気持ちを露わにできる人が他にいるだろうか…。
「そっか…じゃあさ、今日はもう遅いから帰るけど、また来てもいいかな?」
彼女は漫画だと頭上にビックリマークが出るくらいの勢いで笑顔を見せ、またも握っていた手を上下にブンブンと振って応える。
「勿論です!いつでも来てください!私達はもう友達ですよ!」
「友達?」
「はい!」
「じゃー…友達、君の名前は?」
呼ぶ時に困ると思い、軽い気持ちでした質問だったが…相手にとっては聞かれたくない質問だったのか、少し戸惑った表情を浮かべていた。
その表情を見て、無理に答えなくても良いと言おうとした瞬間、少女はゆっくりと口を開く。
「咲…」
一瞬渋る理由があるのかと躊躇ったが、彼女が口にした名は特別キラキラしたものではなく、至って素敵な名前だった。
「サクね…教えてくれてありがとう。多分年齢も近いと思うし、呼び捨てでいい?」
「うん!あなたは…」
「薫だよ」
「薫くんですね!」
ニコニコと名前を呼ぶ咲の言葉に一瞬空気が凍る。
今に始まった事ではない、何度も繰り返してるお馴染みのパターン。
状況を把握していないであろう咲に、コホンと補足を付け加える。
「ちなみに…女ね」
「勿論わかってるy……え"っ!?」
言葉の意味を理解した咲の表情がみるみる驚きのものへと変わっていき、その顔の面白さからつい吹き出しそうになる。
自分は昔から男勝りな性格で、メンズファッションを好み、美容室に通うようになった頃からは常に髪を短くしてきた。
おまけに地声がハスキーなせいもあり、周りから性別を間違われる事は日常茶飯事なのだ。
しかし、けして男になりたいとかではなく、自分の求めるスタイルがそこに行き着いただけで、性別に囚われた事はない。
それ故に間違えられる事も嫌な気持ちにはならないのだが…
そんな事を考えていると目の前にあった咲の顔がヒュンと消えた。
「薫くんだなんて言ってすいません!」
呑気な自分とは反対に、罪悪感からか深々と頭を下げる咲。
幾度も間違われる事はあったが、ここまで必死に謝られたのは初めてで、早くも彼女の真面目な一面を知った。
何事にも必死さが伝わってくる咲の性格が可愛らしく、ついそこにある頭をソッと撫でてしまう。
すると彼女は頭を下げたまま横に首を傾げ、頭上の手を指差した。
「……これは許してくれたって事でいいのかな…?」
「まず怒ってないから…大丈夫だよ」
その言葉を聞いた咲が突然バッと頭を上げるもんだから、驚いた自分はビクッと後ずさる。
しかし赤らめた顔で『良かったー』と笑う顔は、紛れもなく天使のような可愛さだった。
これが咲との出逢い。
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