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『時間だけが過ぎていく』
咲と知り合ってから、毎日の様にバイト帰りは空き地へと向かう様になった。
初めはお互いにどんな人なのかを探る様な質問ばかりしていたが、半年を過ぎた頃には趣味や考え方、人間関係など踏み入る話しもする様になり、この日は遂に咲が自分の闇へと足を踏み込んできた。
「薫はさー、ミュージシャンになりたいの?」
「んー?」
寝転んで見ていた広がる空に、ひょこっと咲の顔が現れる。
出会った頃に比べるとだいぶ砕けて話す様になった咲。その様子で互いの距離が縮んでいると安心する自分がいた。
そして薄ピンクの髪がキラキラと風に揺られ、それが綺麗で見入っていたら彼女は不満げな表情で首を傾げる。
「あ、ごめんごめん。何?」
「もー…だから、ミュージシャンになりたいの?って」
「んー、確かにそれが夢だったかな」
「過去形?」
「…才能ないみたい。もう自信なくて」
どちらかと言えば触れられたくない話しだが、以前何気なく話したオーディションの事が彼女の好奇心に掛かってしまった様だ。
夢が歌手だミュージシャンだと話すのは身の程知らずな気がしてしまい、恥ずかしさからポリポリと指先で頬を掻く。
目指すほど大した実力もないと今では思うし、一度目標に疑問を抱いてしまうと立て直すのは難しく、咲と知り合った後も音楽には触れていない。
「…ねぇ、薫」
「んー?」
自分の顔を覗き込んでいる咲の顔がゆっくりと近付いてくる。同性相手だが予想外の展開につい胸が高鳴っていく。
白い肌に紅い頬、大きく潤った瞳に長い睫毛、そして薄い唇はゆっくりと動き出す。
「私、薫の歌が聴きたいな!」
「えっ」
「ダメ?」
「ダメだよ。自信ないんだって」
話聞いてた?とつい笑って誤魔化そうとするも、咲の顔は至って真面目。
引く様子もなく、眉一つ動かさないでジッとこちらを見詰めてくる。
その様子から感じられる「本気さ」に、こちらもようやく真剣に向き合う。
「自信がなくても歌えるよ。完璧じゃなくて良いし、私は評価をつけたいんじゃなくて、単純に薫の歌が聴きたいだけなの」
「……」
「無理強いはしないけど、どうしても嫌だと言うなら…こちらにも考えがあるぞ!」
「考え?」
そう言うと咲は悪戯な笑みを浮かべ、少し間を置いてから「それはこれから考える!」と逃げる様に体勢を戻して背を向けた。
その様子が可愛らしくて笑ってしまうと、「あ!笑ったなー!」なんて言ってくるから可笑しくて、また自分は笑顔にさせられる。
一見ふざけている様でも、咲の言ってくれる言葉はまるで自分の胸の中の糸を解いてくれる様な…そんな暖かさを感じていた。
ここまで言ってもらっては断る理由も見つからず、「参りました」と身体を起こした。
「咲の為に歌うよ…でも少し時間を頂戴」
「時間?」
「うん。なるべく急ぐから、少し待って」
自信がないのは本当だ。友人に自作の詩を聴かせる事に拷問並みの恥ずかしさも感じる。
でも真っ向から聴きたいと言ってくれる彼女に、彼女に向けた詩を書きたいとも思ったのだ。
「うん…楽しみにしてるね!」
少し肌寒い風が通り過ぎていく。
もうすぐ秋がくる、そんな日に交わした約束。
ーー・・・
その日から、さっそく自宅でギターとペンを握った。久しぶりに触るギターは微かに埃っぽく、自分が避けて来た時の長さを感じさせる。
『夢を託した歌ではなく、今はただ贈る歌を書こう』
そう思うだけで肩が少し軽くなる気がした。
好きで始めたはずなのに、気付かぬうちに自分で壁を高くしていたのかもしれない。
プロに認められなくても、好きな音に触れていられるだけで良かったのに…認められる曲を作るのではなく、好きな曲を好きになってもらえたら尚良いじゃないか。
夢はプロになる事?高みを目指すのは大事だけれど、人生はそれだけじゃないはずだ。
自分の歌を聴いてもらえる、まずはそれだけでいい。
あまり、己を責めてもいけなかった。土台が崩れてしまうと、何も残らないのだから。
自分の中に溜め込んだ物を一つずつ解いていくと、今になって「こんなにも簡単な事だったのか」と笑えてきた。
ギターのチューニングを済ませ、小さく息を吸って、伝えたい言葉をメロディーに乗せていく。
人に贈る詩を書くのは初めてで、まるで手紙を書くような恥ずかしさがあり、それがまた自分を初心へ戻してくれるような気がする。
出逢って一年にも満たない彼女の好奇心が、彷徨う自分に道を作ってくれて、大袈裟かもしれないけど、確実に咲は大切な事を気付かせてくれた。
失敗したって良い、何度だって歌ってみせるし、それが偶然にも花開けば良い。
無理に寄せて見失うくらいなら、認められなくったて良い。
きっとそれでも咲は聴いてくれるだろう…彼女の性格から、気付かぬうちに小さな自信を生む事ができていく。
ーー・・・
夜通し書き殴り、何度も何度も書き直して曲が完成したのは、約束した日の一週間後。
自己最短記録とも言える早さで書き上がったが、咲と会えなかった時間はもっと長く感じた。
あとはこれを聴いてもらうだけなんだが…
「今日もいないか…」
空き地に来ても見慣れた姿はなく、みるみる自分のテンション下がってのがわかる。
こんな状態がもう3日続いていた。
出会った日から咲はずっと此処にいたからすっかり忘れていたが、何もない空き地はやはり寂しさが充満している。
それでも待っていれば咲は来るかもしれない…そんな期待を胸に、木に背を付けて脱力する様にズルズルと腰を下ろす。
人間の習慣とは怖いもので、たった1週間と3日会えていないだけでも生活に物足りなさを感じてしまう。そしてふとした時に咲の姿を探してしまうのだ。
話したいことがたくさんあるし、気付かせてもらえた感謝だってできていない。約束の詩ももう出来上がっているのに、咲だけがここにいない。
何かあったのではないか、無事なのだろうか、元気にやっているのだろうか、不安が襲う。
たった数日でおかしな話しだが、最後に会った時に嫌われる様な事をしてしまったのではないか…必死に記憶を手繰り寄せた。
咲のいない日なんかない…今思うとそれは逆に不自然な事で、なぜ今まで気付かなかったのかと焦りに変わっていく。
ーー・・・
『薫はさ、明日死ぬとわかったらやりたい事ある?』
『えっ、死にたくない』
『例えばの話しだから!』
『んー…またここに来るかな』
『ここ??どうして?』
『咲と話してたら笑えるからさ、死ぬのも怖くなくなりそう』
『それって褒めてるのか貶してるのかわからない…!』
『はははっ、褒めてる褒めてる!』
ーーーーーー
その時は何気ない会話だと思って深くは考えていなかったけど…
「………どうして突然あんな質問を?」
一人悶々としていると、次第に空には黒い雲が増えていき、ついにポツリポツリと雫が落ちてきた。
それはまるで自分の心模様を映すように、どんどん強さを増していく。
今の自分は考え過ぎている。
もしかしたら明日は来るかもしれないし、日数的にもまだ焦るには早い。
日常化してしまって心寂しいけど、咲にも都合ってものがあるし…彼氏でもないのに干渉し過ぎて気持ち悪いとまた自分にマイナス評価が増えていく。
だけどきっと明日も咲を待ってしまうだろう。
雨の中、傘もささず自宅へと歩き出す。
今のこの無様な姿も、咲に話せばきっと笑い話となるはず。
そう信じることにした。
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