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『いつも背中を押してくれる君』
『もう少し、もう少しだけ待って欲しい…』
雲が月を隠す夜、一本の木の下で立ち尽くし、暗く寂しい世界で「何も変わらない、変わるわけがない」と嘆いていた。
その嘆きは自分への言い聞かせであり、そうでもしないと僅かな期待が更に自分を傷付けるのだ。
しかし、その日は今までと大きく違う出来事が起きた…突然背後からかけられた声。
周りに対象物はなく、自分にかけられた声だと頭が理解すると胸はドクンと跳ね上がる。
驚いて振り向く先には、黒い髪に赤いメッシュ、耳と顔には光るピアス。一見怖そうなお兄さんがいた。
その初めての展開に対する驚きと少しの恐怖…また、現実味がないことから一瞬身構えたが、【彼女】はただ私を心配して声をかけてくれていた。
『大丈夫…?』
私の存在に気付き、声をかけてくれる人に出逢えたのは生まれて初めての事。
もしかしたら本当に神様はいるのかな…なんて思ってしまうくらいの奇跡。
彼女は私に名前を聞いた。まさか名前を言う日が来るとは…咄嗟に考え「咲」と答えたが、考える挙動が相手を不安にさせてしまったかもしれない…名前なんてなかったから。
だけどこの時に私の名前はできて、それは私と言う存在が許された瞬間で、彼女に出逢わなければ未だ名前もなかったのだ。
彼女が「また来る」と背を向けた時、次があるなんて信じられない私は強く拳を握る。
だけど本当に次はきて、今日も、明日も明々後日も、彼女は毎日来ては私を見付けて話しかけてくれた。
ーー・・・
「咲ー」
「あれ、今日も来てくれたんですか?」
「うん、いるかなーと思って」
「いますとも!いつでも来てください!」
私の言葉に薫は『何だそれ』と目を細くして笑う、その顔を見るのが好きだ。
薫が来るようになってから、私の中の孤独は少しずつ姿を消していた。
「咲って何で毎日ここにいるの?」
「んー。落ち着くから?誰もいないし!」
「そっかー、1人が好きなの?」
「いや、大嫌い!」
「支離滅裂だな…まぁいいけど」
真実を話す事がこの時間を終わらせてしまう気がして、嘘と本音を混ぜた訳の分からない発言を、薫は深く追求する事もなく笑って頭を撫でてくる。
『話したくない事は話さなくて良い』そう言ってくれてる様な気がして、薫の横は居心地がいい。
「じゃー、薫は何で男の子みたいな格好してるの?」
「楽だからかなぁ…女性物ってボディラインが出たり、ヒラヒラしてたり、裾短かったり…何か苦手でね」
「そっかぁ。男の子になりたいとは思う?」
「それはないね。自分が自分じゃないと知り合えなかった関係もあるし」
「深いねぇ…」
私が私じゃなくても、薫は話しかけてくれただろうか。私を見つけ出してくれただろうか。
自分の姿が薫の目にどう映っているのかわからず、容姿については常に話を合わせるしかなかった。
しかし真実の姿に気付いた時、薫はどう思ってしまうのだろう…視線を泳がして聞いてみようか考えてみたものの、やはり怖くてできない。
「咲は恋人いる?」
「いないよー」
「意外。男受け良さそうなのに」
「そーゆーのよくわからないな…薫はいるの?」
「いないし、いらない」
「へぇー、何で?寂しくない?」
「距離が近過ぎると傷付け合う事が増えるから…楽しい時間も勿論だけど、それが嫌でね。それに始まらなければ終わりもないはずだから」
「そっか…んー…それもそうだね」
その時、遥か昔に見たとある恋人達を思い出す。
彼は必死に彼女へ気持ちを伝え、彼女も頬を赤く染めながら首を縦に振った。
互いに顔を赤らめて、あどけない様子が可愛くて幸せそうで…そんな二人の姿を見るのが私の楽しみとなる。
このまま2人を見守り、いつしか家族が増え、みんなで素敵な時間を生きていくのだろうと…そう思っていたのに。。。
風の噂で、暴走した馬から子供を庇い、彼が亡くなったと聞いた。
その数日後、すっかり痩せこけ、赤く腫らした目で遠くを見詰める彼女を見かける。
声をかけることも、慰める事もできない自分の無力さを呪いながら、ただ元気になってほしいと祈った。
恋が始まらなければ、あんな終わり方もなかったのかもしれない。だからこそ薫の考え方も一理あるな、と思う。
私は人ではないけれど、人の痛みを知ることが辛かった。
「薫の顔のピアス、痛くないの?」
「そりゃ皮膚を貫くわけだから開ける時は痛いよ。タオルや枕に引っ掛けた時も、凄ーく痛い」
「うわぁ…想像するだけで痛い…」
「でもそれ以外はなんともないし、カッコイイって褒めてくれる人もいるよ。あと悪い虫も寄ってこない」
そう言うと薫は口のピアスを軽く引っ張ってイーッと笑ってみせる。
それを見て私は釣られて笑うも、内心では『ただのファッションだと良いな』と思っていた。
そのピアスが、薫の心の傷の数じゃないと良いなって。
時々溜め息を吐きながら何かを考えている事、気付いていた。
「咲の髪色って派手だよね」
「薫の方が派手じゃない?」
互いに毛束を掴み上げ、少しの間を置いて異様な光景に吹き出す。
「ははっ、何してるんだろ」
「わかんない、何だろう」
こんな些細な時間でさえ、薫といれば全てが輝いていて、生きる喜びを感じる事ができた。
いつまでもこんな日が続けば良いなって、心の底から思う。
ずっと2人で笑い合いたい。もっと薫を知っていきたいし、たくさん話しがしたい。
見ているだけで何もできない自分には戻りたくなかった。
それは無理だって、自分が一番よくわかっていたのに、それを私は隠し続けてしまう。
あれはいつからだったろう…もう何年も前のこと。その日もいつもと変わらない時間を過ごしていた。
温かい陽の光を浴びていると、穏やかな風に混じって不意に胸を細い針で刺された様な感覚があった。
最初は一瞬の事で深く考えなかったが、忘れた頃にまた痛みが走る。これを数回体験してようやく「おかしいな」と思い始めた。
「大丈夫」と思いたい私とは裏腹に、痛みは日に日に強さを増していき、細い針を刺すような痛みは、次第にノコギリやチェンソーで斬りつける様な痛みへと変化する。
身体の芯はミシミシと音を立て、その度に私は苦痛にもがき、目に見えない恐怖に怯え続けた。
幾度も泣いて、泣いて、誰にも届かない叫びを上げ続けた夜、ついに胸の中央が崩れ落ち、ポッカリと穴が空いた。
最悪の展開を考えないように逃げていた私の頭も、その穴を見てようやく事の重大さを思い知る。
拳ほどは大きくない胸の穴…恐る恐る指を入れてみると、内側はまるで腐食した様に脆く、触れるたびポロポロと崩れていく。
どんなに辛くても受け入れたくなかった真実とこんな形で向き合う事になるとは。。。
長い時間をかけて私の身体を腐らせていた病い…そして一番の恐怖に気付いてしまう。
いざ状況を把握しても、私には死期を待つ事しかできないのだ。
更なる恐怖と痛みに耐える日々が始まる。
終わる事のない痛み…逃げる事も死ぬ事もできないまま、時間だけが過ぎていく。
必死に庇うも胸の穴は少しずつ広がっていき、今にも自分が崩壊するかもしれない恐怖で眠れる日も減っていった。
そんな中で私は次第に、独り死んでいく事に恐怖を感じる様になる。
この運命を変えられなくても良い。ただ誰かに私が生きていることを知ってほしかった。
通じ合えなくても、痛みを取り除けなくても、ただ存在に気付いてほしかった。
そしてそんな時に奇跡は起こったんだ…薫が私を見付けてくれた。
『薫、ごめんね…』
私の事が見えた。私と話す事ができた。私を笑わせ、痛みを忘れさせ、残りの時間を生きる力をくれた。
出会ってから短い時間だったけど、長年の辛さを一瞬にして消してしまう存在。一緒にいるだけで沢山救われ、感謝しても仕切れない、大切な人。
それなのに、それなのに何で私は…
目の前で泣いてる貴方に声をかける事すらできないのかな…
雨の日も風の日も、寒さで頬を赤くしながら何度も訪れては、私を気遣う言葉を投げてくれる。
会えなくなったらすぐに忘れられると思っていたのに、予想を裏切る執着が本当に嬉しかった。
あと何日来てくれるだろうなんて、浅はかな期待までしてしまった。それは薫にとっては苦痛でしかないのに。
【薫が泣いていた】
私が思うよりもずっと彼女が傷付いている事を知った。
自分なんかの存在が、人の心にこんなにも根深く残るとは思ってもいなかったんだ。そして私が笑顔を奪ってしまった事実に罪悪感が溢れ出す。
一言でもお別れを言っていれば、こんなに悲しませずに済んだかもしれない…真実を話していたなら、笑って離れられたかもしれない。
私の身勝手な行動が薫を傷付けてしまった。
『私は傍にいるよ』
『ここに居るんだよ、薫』
『ねぇ、薫、何で…何で今見えないのかな…』
『お願いだから、泣かないで』
まただ。また声一つ届ける事ができない。
それは私にとって己の身体が腐り落ちる事より辛く苦しい。
薫は私を見付けてくれたのに、私には薫を慰める事ができない。こんなにもどかしい気持ちも、薫に出逢わなければ知らなかったのに…。
でもやっぱり
『ゔっ…あぁ…‼︎』
出逢わなければ良かったとは思えなかった
きっと彼女もそうだったのかな…
身体の芯を射抜かれる様な激痛が走る中、ようやく彼女の気持ちを知れた気がした。
ここ1ヶ月程で更に病は進行し、音を立てて朽ちていく。
ついには人の姿を維持できなくなり、此処で最期の時を待つ事しかできなくなった…そしてその最期の日が、もうすぐそこまで迫っている。
『…死ぬ事に抵抗はしない』
『だから最後にもう一度だけ…』
流す血も、暖かい身体も、
抱き締める腕も、励ます声も、
何一つ持っていない私だけど
心はあって、たくさんの歴史を感じて、
たくさんの時代を生きて、
色んな出会いと別れを見てきた
そして自分の死を目前に、初めて願いが叶った
人と話しがしたくて、触れてみたくて
薫の存在そのものが、私の夢そのもの
それなのにまだ願いがあるなんて
神様、どうか我が儘を許してください
見た目ほど強くはない、誰よりも優しい頑張り屋
そんな彼女に別れを告げたいのです
『ぅ…か、…かおるっ』
そう、ほんの数秒でいいんだ
たった一瞬でいい…
でも、やっぱりあと数分…
あぁ…でももっともっと…
顔を見ると、ずっと一緒にいたくなる
「薫…!」
「…咲…?」
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