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賑やかな夕食を終えると、アルベルトはいつも夜の散歩に出掛ける。フィリアの夜は暗い。広い畑の先に家屋の光がゆらゆらと揺れ、空に広がる満点の星が地面まで落ちたかのような錯覚に陥る。城門という程立派ではない小さな門の前で、アルベルトはシンの到着まで星が散る空を眺めていた。
「お待たせ致しました。行きましょうか」
シンが小さく頭を下げ、肩を並べ当てもなく歩く。ランタンの淡い灯りが足元を照らし、谷間に伸びる月光に弱く浮かび上がる農道。頬を打つ風は、まだ少し冷たい。
ふとアルベルトは昼間の事を思い出し、隣を行くシンを仰いだ。
「ヤギの名前は決まったのか?」
シンは一瞬だけアルベルトに視線を落とし、直ぐにまた拡がる闇を向いた。その横顔はどこか照れているような、そんな雰囲気だ。
「ヤギ美は……どうでしょう」
「……それはまた、古風な感じで良いと思うよ」
アルベルトは笑を堪えて努めて冷静に答えて見せた。しかし一日かけて考えた名前がヤギ美とは。そんな不器用なシンを見られるのも、アルベルトの特権であった。
「今日は、川まで行ってみようか」
気が良くなったアルベルトがそう言うと、小さく頷いてシンは少し前を歩んだ。
暗闇に浮かぶ、長い間見てきた背中。厳しく、怖いけれど、アルベルトこの背中に微かに滲む、この男のそんな優しさを好いていた。
やがて川に近付くとシンは微かに歩みを遅めた。昔、まだアルベルトが王子であった頃、この川に来た時に彼がはしゃぎすぎて川に落ちた事があった。それ故に、シンは未だにこうして川の側に来ると歩みを遅めるのだ。アルベルトももうそこまで子供ではない。だがそれでもシンにとっては、十も離れた彼はいつまでも子供に見えるのだろう事は、アルベルトが一番強く感じていた。
月明かりに照らされ煌めく川面を見詰めるシンの横顔は、毎日見ていても見惚れる程だ。その穏やかな表情の中には言いようのない、寂しさのようなものを感じさせる。シンはここにいるのに、本当は遥か遠くにいる。そんな錯覚を覚える。
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