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手入れを終え、馬を繋ぎ門前に戻って来たシンは、もういつものように厳しい顔をしていた。
「さあ、病み上がりなのですからもうお休み下さい」
「少しだけ……!」
アルベルトはそう言うと、深い夜の中へと走り出した。シンもまた、呆れながらその後を追う。いつもの散歩だが、ランタンがないだけで何故か闇が深く感じた。自然と歩みも遅くなる。何時の間にか追い抜かれ、前を行くシンもその歩調に合わせ、いつもよりも足取りが緩やかである。
やがて月光虫の舞う川辺に辿り着くと、二人は並んで腰を下ろした。川面を見詰める横顔に、アルベルトはずっと疑問だった事を投げかけてみた。
「どうして、シンは武術を大切にするの?」
その質問に少しだけ瞳が揺れた。まるで聞いてはならなかった事のようで、暫く、シンはその返答を与えてはくれなかった。沈黙は身動ぎさえ許さぬ重いものであった。一体シンが何を想い、黙り込んでいるのかアルベルトには分からなかったが、だがこの長い沈黙を守らなければならない。彼が、自ら口を開くまでは。その思いで、アルベルトは辛抱強く虫の音に耳を傾けていた。
そして漸く、シンは静かに語り出す。
「私のいた国は、戦を好む国でした。日々戦に明け暮れ大きくなって行った国です。この国は争い知らない平和な国だ。だがこの谷を出れば外は違う。私は怖いのです。いつか必ずその手がここに伸びる日が来る。その時に愛するこの国が、滅んでしまう事が」
谷間にあり、他国との交流を全く絶っているフィリアに生まれたアルベルトにとって、シンの言っている事はいまいち現実味を帯びていないように感じた。だがそれでも、その横顔に浮かぶ深い悲しみにも怒りにも似た暗い影が、アルベルトの心に黒く重い不安だけを残した。
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