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  1  あの娘との出会いを語るのに、私の父のことを避けては通れない。  私にとって、父は絶対的な存在だった。  父がデザインした東京湾のスカイブリッジが、私の自慢だった。そのスカイブリッジが毎夜ライトアップされ、真っ暗な夜の海の上で神々しく輝く姿に、一体どれだけの人の心が慰められ、奮い立たせられていることか。そう考えるだけで、私は誇らしかった。だから、私は父の背中を追い、建築士になることしか考えてこなかった。中学生の時は父に数学を教わり、大学はもちろん建築学科に入学し、建築士の資格をとり、工業デザインも学んでおくといいという父のアドバイスに従って、工業デザインの授業も取った。  亜紀は私の一番の宝物だ。  父はそんな風にいつも私を誉めてくれた。  だが、私が大学四年になった春に、父は家を出ていった。恋人と一緒に暮らすために。そして、その恋人というのは、男の人だった。  父の恋人が男だと知った時、私の中で今まで育まれてきた価値観体系の全てが一気に崩壊した。  いい大学に入って、夢だった建築士になり、それなりに名の知れた会社に就職し、いい人と出会い、結婚し、子供を産む。子供は二人。それが男の子と女の子なら、理想だ。マイホームを建て、夫も自分も定年までつつがなく勤め、いや、自分は子育てが大変なら一度は会社を退社しフルタイムで働くのを辞め、小遣い程度にパートの仕事、それもせっかくの建築士という資格を活かせるような仕事ならなおいい。そして子供を独立させ、そのうち生まれた孫に囲まれ、夫を看取り、八十歳くらいまで元気で暮らせたら、人生、もうこれ以上望むものなんてない。  きっと世間は、こんな人生を幸せの鏡と呼ぶのだろう。あのスカイブリッジの美しさだけしか見えていなかった私には、それでよかった。 しかし、もう私は今までの私ではない。  同じあのブリッジを見ても、明るすぎる光は、もはや私の心の中の何も照らしてくれはしない。むしろ、明るすぎて、私の気を逆なでする。もしあの光がなくなったら、真っ暗な夜の海の上に認められるものは何だろう。そんなことを今はひたすら考えてしまうのだ。  そして、昼間あのスカイブリッジを見てみると、実はそれは、確実に年月を経て、海の潮風で所々錆びて茶色く変色しているのが目を凝らすと遠くからでもわかるのだった。きっと、私が今まで見ようとしていなかっただけなのだと悟った。
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