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 信じるものを失って、私は大学を辞めた。母に相談せずに退学届を出したので、母に大学から電話が行ったようだった。大学に呼び出された母は、それをどうも父に連絡したようで、 「亜紀、大学を辞めるのか」 といきなり私の携帯電話に父から着信があった。電話にはとりあえず出たが、何も私は答えなかった。その沈黙を、父は自分への非難ととったのか、 「私が勝手をしたせいだな。すまない」 とだけ言って、電話を切った。  謝ってほしいわけではなかった。何だかイライラした。イライラして、ますます私は自分がどうしたらいいのか、わからなくなった。  自分の他に恋人を作られた。それだけでも許されないことだろうに、更にそれが男の人だったという衝撃を、母はどんな風に受け止めたのだろうか。母は泣きはしなかった。父を責めたりもしなかった。ただ、母は父が出ていくのを黙って許した。少なくとも、私にはそう見えた。父は、恋人と一緒に暮らしていても、母が連絡することは拒んでいないようだった。そんな優しさは、ただ父の狡さに思えた。  一体私は何が欲しいのだろう。私にとって何が幸せなのだろう。  こんな気持ちを誰かに話せば、少しは楽になれるのだろうか。でも私には話せる相手が誰もいないことに気付いた。私は、独りだった。  時間だけが大量にある。とりあえずお金は必要なので、アルバイトをすることにした。大学を辞めてアルバイトに勤しむ私に、母はもう何も言わなかった。父に、何も言わないで自由にさせてやれ、とでも言われたのかもしれない。  カフェや本屋、コンビニエンスストア、不定期で住宅販売のアルバイトなんかもした。  そう、住宅販売のアルバイト。そこであの娘と初めて出会ったのだった。  住宅販売のアルバイトというのは、モデルハウスの前で価格や坪数なんかが書かれた看板を持って、椅子に座って見学者を待つというもので、天気さえよければ楽な仕事だった。大学を辞めた次の春、コートを着ていると汗ばむくらいの小春日和の三月の終わりに、私はある街の小学校の裏手の新築戸建て群の一角で、例のごとく看板を持ったままぼうっと座っていた。
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