行きて帰らぬ、あのリフト

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――いつもと同じ朝の光が漏れるカーテンを見つめて、私は呆然としていた。 手元が冷たい気がして見ると、少し黒ずんだ赤色に染まっている。 その手で傍らのカーテンを引いて、外を見た。 澄んでいるとは言えない川と、舗装された散歩道と、草の揺れる土手とーー赤い、彼岸花の群生。 あの時の、花だ。私が綺麗だと思った白い花は、どこにもない。世界の裏側に放り出されたように、訳が分からなくなる。 動かした拍子にか、固まった血液で塞がりかけていた手首の傷口がじわりと潤んだ。ちりりと広がる痛みに、我に返る。 思わず濡れた傷を指でなぞると、こんな風に赤い傘を撫でたことを思い出した。 ……ああ、せっかく、あんなに幸せだったのに。 あのままリフトの上で眠っていれば、この朝は来なかったかもしれないのに。 なぜ、なぜよりによって、アイツのせいで。 とうにこの世から逃げおおせたヤツへの激情のせいで、今まだ私がここにいるなんて、なんて主客転倒な、なんて、なんて……。 次第に窓の向こうから、行き交う人の声が聞こえ始める。意味のある言葉、感情のこもった声が、寄り合ったりぶつかったりして忙しなく動いている。 私はベッドの上で膝を抱えたまま、動けない。 どうやってこの夢の名残――仮初の幸福感、掘り返された憎しみ、我を忘れてリフトを降りた情けなさ、生かされた、とも思う、悔しさ――を振り払えば良いものか、見当もつかない。 足首に、夢の中で「傘」として一緒に在ったものだろう刃物が当たって、ちくりと痛んだ。 リフトの上で、傘の先端の傷を見たときは、最高の達成感を味わった。 もう一度それを握ったとしても、またあの幸せな夢を見られるなどとはとても思えず、とうとう涙が頬をつたい落ちた。 これからずっと、あのリフトを待ち続けるだろう自分のことが妙に客観的に想像できて、その姿はあまりにも哀れだった。
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