グスクの海ーAfter story

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ドラマストーリー3  第一次喜界島征伐 長虹堤の工事も完成し外国貿易も堅調。 巴志時代以来の繁栄は続き、テダと護佐丸の期待通りの金福の全盛もあって、まさに琉球王府と国民は「わが世の春」を謳歌していた。 そうした中でも不安な動きはあった。 奄美大島の隣に浮かぶ喜界島が納税を拒んできたのである。 これを断固討伐すべき、と主張したのが金福の弟・布里、同じく息子に当たる志魯の二人であった。 元老の護佐丸と王府軍の最高司令官である喜屋武は、 「軍事行動は倭寇取締りに限るべし」 との基本原則を譲らず、長老と若手の対立は激化した。 王族としての権威を振りかざして決定を迫る布里と志魯に対して、護佐丸と喜屋武はティルルの神託で全てを決せようとする。 だが、ティルルが護佐丸の妻そして喜屋武の妹にあたるという関係から、布里と志魯が難をいいたて事態は暗礁に乗り上げる。 この論議の最中、懐機が倒れ、その床で護佐丸とテダに、 「平和と繁栄を保つように。下手な路線の変更はするな。若い者の新しい動きを抑えよ。我々がとってきた道は間違いない」 と言い残し、この世を去る。 この懐機の死を待っていたかのように宮中工作の結果、喜界島征伐は決定される。 これをあくまでも拒む喜屋武は、金福が署名した動員令すら突き返すが、布里と志魯の策謀により征討軍そう司令官に祭り上げられてしまう。 護佐丸も中グスク待機を命じられ、最後に残ったテダにはセーファーウタキへの参篭が強制される。 全てが戦争へと向かう中、久高島ではアマワリが鬱々として楽しまぬ日々を送っていた。 その世話を島に残ったテダの弟子たる神女見習いの少女たちがしていたが、粗暴で我儘なアマワリを怖れ嫌って、ついには誰もよりつかなくなった。 ただひとりを除いて。 そのただひとりーマトワカは、テダへの尊敬の念もあって甲斐甲斐しくアマワリの世話をするが、ある日、アマワリの手篭めにされてしまう。 中央から遠ざけることを目的に、さらに久高島への参詣を命じられたテダは帰島直後、その事実を知らされ、激しくアマワリをなじる。 これに反発したアマワリは島を飛び出し、喜界島遠征軍へ身を投じる。 その軍には、中グスクに待機を命じられた護佐丸が王府の命令で差し出した部隊があり、それを名目上、盛親が率いていた。 その軍勢を輸送する王府艦隊には、水夫見習いの八五郎がいた。 第一次喜界島征伐は成功。 第二次遠征も計画されるが、一計を案じた護佐丸により、金丸が詳細な意見書を提出。 いかに遠征が財政的にムダであり、社会構造を歪めるかを力説し、数字に弱い布里と志魯を黙らせていった。 が、この裏で、第一次遠征を経理面で支えた金丸が、この二人と密接に結びついたことを誰も知らなかった。 この遠征で手柄を立てたアマワリは、喜屋武の推薦もあって、琉球陸軍の若手将校として迎えられることになった。 そして盛親の方は戦場で敵前逃亡したこともあり「臆病者」の汚名を着ながら、再び読谷グスクへこもる日々が続いた。 第一次喜界島征伐の全てが終わった頃、マトワカはアマワリの子を産んでいた。 後のクニチャサである。
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