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序章 1441年
西暦1441年。
室町幕府足利義教は、薩摩守護・島津忠国の使者と称する者と室町第で会うことになった。
薩摩の使者の目的は、この年、幕府に謀反をたくらんだかどで畿内を追われ、日向に逃げ込んだ大覚寺義昭らを、島津が誅したことを報告するためで、同時に褒美についても交渉するためであった。
対面所に現れたその使者は、しかし、将軍義教が予想していた武骨な薩摩侍でなく、小柄ではあるが、整った顔だちの若い女であった。
「ミサト」と名乗った女は、打ちかけの裾をひきずったまま一礼し、将軍の前に座した。
「薩摩太守には賊どもをめでたく平らげたこと祝着である。この義教、礼を申すぞ」
将軍の言葉に、ミサトはその怜悧な表情を見せながら、型通りの言上を返した。
その後、饗宴の膳が出て、盃が三度変わるころ、この薩摩から来た女に興味を持った義教は、問うた。
「そなたは、薩摩のおなごか?」
ミサトはかぶりを振った。
「生まれは、はるか西の彼方にござりまする」
「ほう、薩摩より西とな。とすれば、すでにわが日の本ではあるまいな。異国の出か?」
将軍の問いに、短く、ミサトは答えた。
が、それが聞きなれない国名であり、傍に控えていた学僧が、それは、明はおろか、蒙古が支配する西方世界(ヨーロッパ)であるというと義教は得心し、
「では、どうやって、薩摩へ至った」
と尋ねた。
ミサトは一言だけ返した。
「琉球」
薩摩のはるか南に琉球と呼ばれる小さな島々があり、自分は、明の鄭和なる者の船で、泉州へ行く途中、大嵐で、この琉球へ流され、そこへいた薩摩の船に乗ったという。
ミサトは、琉球は小島であるが、薩摩太守は、この琉球のみを恩賞として望むといい、義教の感状を下し置かれることを乞うた。
義教は祐筆を呼んで、感状を書かせ、そこに自筆で「琉球」「義教」と入れて、手ずからミサトに与えた。
それをうやうやしく受け取ったミサトの目が妖しく光るのを見て、
「島津は、元々、近衛公の荘園であった坊津の荘官であったことを幸いに、元・明との密貿易で潤ってきた者。その島津が、その琉球なる島々を、ただの小島だと思っているわけがあるまい。聞かせてもらおうか、その琉球なる島々の話を」
と迫った。
ミサトは、それに笑いもせず答えた。
「ならばお話申し上げましょう。琉球の物語をー」
ここに琉球建国の物語が語られることになる。
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