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ドラマストーリー5 運命の序曲
布里と志魯の乱の後、迷走する王府を立て直すために琉球王に迎えられたのは、越来按司の尚泰久であった。
泰久は、その誕生のときテダがとりあげ、その生母・亜里亜とテダが友人であったこともあり、主に独身時代のテダによって育てられた、いわばテダの秘蔵っ子というべき存在であり、彼女の期待も大きかった。
(これで琉球の繁栄は続く)
とテダは確信した。
そのテダの期待通り、泰久はマラッカとの通商を実現するなど一貫して経済成長政策を採用し、内にあっては公明正大な善政を行った。
が、その内面では、幼少時、テダに溺愛された反動からか琉球古来の神道を厭い、仏の教えに傾倒していった。
護佐丸に頼んで大和から僧侶を招き、この鎌倉武士が少年時代、座禅と学問に通ったという円覚寺に憧れ、それを模倣した寺をシュリグスクの隣に建立したりした。
その僧侶の招請に奔走したのは、今は京都の知恩院門前で扇屋を営み、若水という姓となったワカウビであった。
「琉球のウシュカナシーメなのですから、ニライカナイの方角も向かなければ」
といったのはテダではない。
小西八五郎こと桜である。
彼女は幼時から凄まじいほどの霊力を持っており、テダもひそかに注目していた。
桜自身もテダに憧れ、水師でありながら神女にも憧れる自分をもてあましていた。
こうした中で、先の戦乱で焼け落ちたシュリグスクが再建され、京都で鋳られた鐘が吊るされることになった。
その金もまたワカウビの手配によるものだった。
それを記念して銘が彫られることになった。
最高神女たるテダに意見が求められ、彼女が琉球の未来像をその理念を語り、それを護佐丸が筆を執り漢文化したものが鐘の銘文となった。
「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を鍾め、大明(中国)を以て輔車となし、日域(日本)を以て唇歯となす。此の二の中間にありて涌出する所の蓬莱島なり。舟輯を以て万国の津梁(かけ橋)となし、異産至宝は十方刹(国中)に充満せり」
思紹が理想として求め、藩仲孫が理念として掲げ、琉球統一戦争に倒れた多くの人々が願った思いが託された銘文である。
それを見上げるテダ、護佐丸、ティルルの目に過ぎし日々のことが浮かんだ。
しかし、本当の悲劇は、この直後に訪れるのである。
アマワリは若手将校として、将来を嘱望される立場にあった。
テダの息子である彼のまわりには、多くの若手将校が集まり、これに金丸ら新進官僚たちが加わり、一大政治勢力を気づいた。
金丸らにとってみれば御し易い「みこし」に思えたのであろう。
金丸らの謀略は巧みに進んだ。
まずアマワリの力を拡大するために、海洋国琉球の実力者として必要な水軍を彼の手元に編入させた。
勝連水軍である。
その水師は、今や一人前の船乗りとなった八五郎であった。
華麗な大陸式軍装の彼女は、しかし、アマワリへの思慕を忘れていなかった。
そのアマワリの許へ縁談が持ち込まれる。
「小西八五郎、いや、桜。我が娘カマドゥの娘になれ」
護佐丸とティルルの間に生まれたカマドゥは、和名をヒナ、かつての護佐丸の想い人の名前をつけられたものである。
ティルルは、思紹との約束を守ったことになる。
そのカマドゥは、尚泰久の妃である。
つまり、泰久の養女ということになる。
アマワリの勢力拡大をによる王府との対立を危惧し護佐丸の懐柔策でもあった。
当事者たちの好むと好まざるとに関わらず、琉球は再び、泰久、護佐丸、アマワリによる新たな「三山時代」を迎えようとしていた。
護佐丸は、この勢力均衡を生来の軍略家として危険なものとして感じ、アマワリに強烈な思慕をいだき、アマワリもまた唯一心許す女性である桜を、アマワリの正室に選んだのである。
小西水軍の長である桜が退役して王族になるためには、神女に就任するというう回路が必要であった。
その任命式に臨むテダには、ある不安があった。
生まれながら霊力が強い桜が、神女と王族になったとき、周囲の人間を心ならずとも動かしてしまい大騒動が起きてしまうのではないのか。
自らの猜疑心をよそに、テダは、百十踏揚の名を桜に与える。
桜が正式に正室になった夜、アマワリは新妻に言い放つのだった。
「おれは、おまえに女であることは期待していない。おれの前では女であることを捨てろ」
あくまでも小西八五郎として接するのだった。
桜の輿入れに「出来が悪い」との評判のために、護佐丸の息子でありながら、ことごとく各按司との娘たちとの縁談が壊れていった盛親は劣等感にさいなまれるのであった。
子供たちを政略の犠牲にしなければならなかったテダとティルルは、お互いの不幸を嘆きあうのだった。
そしてティルルは、かつて兄の喜屋武がいった、
「歴史に参加することの厳しさ」
を肌で感じていたのだった。
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