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愛の帷帳
「不香の花「愛の帷帳」」
(1)
60歳。夏。
30年以上連れ添った妻が死んだ。
急だった。
昨日の夜までは、慣れた手つきで
私のグラスにビールを注いでいた。
いつも通り、笑っていた。
今まで通り、キッチンに立つ背中を見ていた。
今朝になって、同じベットに眠る妻が、
息をしていないのに気がついた。
特別、焦りはしなかった。
もう良い歳だ。
急に死ぬことなんて、分かっていた。
急にいなくなるなんて、分かっていた。
病院に搬送されて、一時間。
死んだ。医者にそう告げられた。
私は、笑顔を作って答える。
「もう歳ですから」
医者は、言葉を濁していた。
まだ昼過ぎだった。
病院の至る所にある
ガラスからは光が差し込んでいて、
反射して、反射して、反射して、
差し込んでいる光は、
どこへ向かっているのか、
どこにいるのか分からない。
少しだけ、足がふらついた。
ああ、俺も、歳だからな。
ぼやけた視界も、老眼のせいだ。
光が反射して、やけに眩しい。
夏の昼すぎだ。
そりゃあ、暑い。
こぼれた汗をさっと拭き取って、
バッグからメガネを取り出す。
メガネをつけても、
視界は元には戻らなかった。
ああ、もうガタが来てるな。
歳、だからな。
広い待合室にあるソファへ腰を下ろす。
待っていれば、来てくれるのだろうか。
待っている間に書く診察用紙も、
待合番号が書かれている紙も持っていない。
それでも、待っていれば、
来てくれるのだろうか。
待っていれば、来てくれるのだろうか。
妻は。
戻ってきて、くれるのだろうか。
(2)
病院から出ると、太陽が爛々と輝いていた。
年々、夏場の気温は上がって
冬場の気温は下がっている。
老人だけじゃなく、
人間にとって住みずらい
世界になっていっている。
それこそ、帷帳を下ろすように。
眩しく、明るく、大きく、果てしない。
そんな単調な苛立ちを、太陽へと向ける。
その返答か、
風が吹いて辺りの木々がざわめく。
一枚の木の葉が、私の前へ落ちる。
緑は無い、枯れている木の葉。
また風が吹いて、葉は宙に舞う。
そしてどこかへ、どこかへ飛んでいき
もう辺りにある別の落ち葉と、
区別はつかない。
きっとまた風に流されて、
どこか遠くまで飛んでいく。
あの木の葉は枯れた身一つで
青葉だった頃には
見えなかった景色を見ていくのだろう。
太陽へと視線を向ける。
眩しい。
当たり前のことを、改めてそんな風に思う。
当たり前が、当たり前じゃなくなる
なんてことは、ずっと昔から知っていた。
若い頃。
父は母を捨てて出て行ったらしい。
母は私を女手一つで育て、
私が社会に出た頃、
役目を終えたかのように病気で死んだ。
過労だった。
幸せという当たり前は、当たり前では無い。
当たり前というのは、
空は広いとか、海は青いとか、血は赤いとか、
そんな風な、概念の話だ。
幸せは、無くなる。
割れて、溶けて、消えて、壊れる。
幸せは、当たり前では無い。
幸せは、当たり前に壊される。
恋にとっての帷は、簡単に降りる。
愛にとっての帳も、簡単に降りる。
人は病気になり、人は事故に遭い、
また、人は誰かに殺されて、
人は寿命を迎える。
命に帷帳を降ろすのは、
当たり前にやってくる。
そして人は、普段の生活で、
わざわざ当たり前を認識しない。
だから、大切な人が明日には、
それこそ今この瞬間、
消える事など、知らない、分からない。
気付くのはそう。
いつも、帷帳が降りてから。
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