京急でいくそばや その一

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多少酒があまりぎみであるけれども、そろそろそばのことを考えなくてはいけない。 「おそば、何にする」「あったかいの、つめたいの」 むすめはなやんでいて、もうあったかいのも、こばちにもって、ふうふうしながら食べることができるからである。なやんでいる、も、つめたい方のお品がきを指さして、さらにまよっている。とろろともりをてんびんにかけているらしい。 「とろろ」 とちいさい声でいう。 「とろろでいいのね」 ときくと、 「はい」 とさっきのとろろより大きい声でいうので、 「じゃ、とろろ、ね」 「はい」 「たのむよ」 というと、首をふって、とろろとはいの中間くらいの音量で、 「もり」 という、 「はい、もり、で、いいのね」 というと、大きな声で、 「はい」 という。「おとうさんは?」という顔をするので、おとうさんは、 「まだ、お酒呑んでるから、あとで、ね」 むすめはほっとしてそばやさんにただよう雰囲気をながめているようである。それをつまみとして、わたしもやっている。たまには山葵でもやっていく。むすめもわたしのそばやのなかにいるそのような様子をながめ、つまみとしているのかもしれない、かどうかはわからない。まだすこしお銚子に酒はのこっている。 (ここで、このお話しとしてはおわった方がよいと思われるのであるが、そばやにきて、そばは食べなくてはいけない。戯れてはいけない。)  たのんだ、むすめのもりの、そば猪口、そばつゆ、薬味のねぎがまずもってこられる。わたしはそのねぎを見て、「ははん、これ、つまみになる」と思案顔になっていたのであろう、むすめは、すかさず、両の手で、ねぎのもられたうつわを、おおいかくすのである。何もいわずむすめの顔は「だめ」といっている。ほんのすこしの山葵で、酒をちびりちびりとやる。 こころよい気持ちになる。そうして銚子からお猪口にもういっぱい酒をいれる。酒は呑むと、へるな、と思っていると、むすめのもりはもってこられる。薬味の山葵、おろし(これはあとすこしの酒のつまみになる)をはずされ、そしてそば猪口にそばつゆをいれるのはわたしで、むすめはねぎをうまくそば猪口のつゆの中にいれてそばをじょうずにたぐり、すすって食べていく。いっちょうまえである。じょうずにつゆにつけてすすって食べすすんでいく。満足そうな顔をしているむすめである。わたしも多少よいがまわり何だかこの光景にいてかこまれてたのしくなっている。
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