京急でいくそばや その一

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山葵もおろしも酒もなくなるわけである。わたしもたのむことにする。そばの品がきを見ると、品がきもつまみになる。わたしはかけである。かけをたのむことにする。何もないところのさらや銚子をながめ、むすめのたぐるすするかおる食べるけしきをかりて、さいごのひとくちをもったいなさそうになごりおしそうに、さかずきをひょいとあおる。もうひとつおまけのようなこころもちのよさである。まわりのお客さんも酒を呑んだりそばを食べたりしている。むすめも食べている。お店のひとの声もきこえて、はたらいている。空いたさらや銚子をながめ、またかたづけられていく。かけはやってくる。かけについてくるこざらにもられた薬味のねぎの方がもりよりかは、ずいぶんと多い。だいたいそうである。もすこしはやくねぎがくれば、すこしのねぎでやれるのに、いや、かまうものか、まず、ずうずうっとやる。これらの所為をむすめは上目づかいで感づいたのか、「ふっふっ」とわらっている。むすめもそばを食べている。そしてわたしはずうずうっとして、もういっかいぐらいずうずうっとしてから、ゆずの皮一片を口にいれてから、ねぎをいれる。ねぎがなじみ、また一興である。そしてまたずうずうっである。むすめの手はとまり、もりはまだ三分の一ほどのこっている。 「おしまい」 ときくと、すこしもの欲しそうな顔をしているので、そこは親子、 「かけ、食べる」 ときくと、 「うん」 とこたえる。そう、このごろ、かけも欲するむすめである。ついてきたこばちに、そば、つゆ、ねぎ、の順にいれて、 「ふうふう、してからね」 というと、 「うん」 といって、すぐふうふうしている。わたしも、もうひとくちずうずうっしてから、 「からいからい(七味)、いれていい」 というと、まだふうふうしているも、 「いいよ」 といってくる。 むすめのふうふうもおわり、むすめはすこしのかけを食べている。わたしも食べている。ふたりしてかけをずうずう食べている。まだお客さんはときどき入ってきていて、呑んでいるひともいる。そばゆはもってこられるものの、「いいです」といってことわりをいれる。むすめはまだそばゆの域には入ってはいない。こばちのつゆもわたしのかけのつゆもすべてたいらげられている。むすめはおなかをたたいて「ぱんぱん」といっている。わたしも「ふう」といっている。
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