序章 その男はヴァンパイア……

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 藍色の空に月が冴え渡る。トランシルヴァニアの深き森の奥、煉瓦で建てられた大きな城が濃霧に包まれ、そのシルエットを空想させる。辺りにはむせ返るような薔薇の香りが漂い、広大な庭には深紅の薔薇を中心に様々か花が咲き乱れているようだ。そこにも白い霧が庭を包み込み、はっきりとした全貌は不明瞭だ。  静かだ。あまりにも静かで、まるで絵の中に溶け込んでしまったかと錯覚させる。庭の奥で人影のような者が動いた。だが、その足音は皆無だ。  男が庭に佇んでいた。細身で背の高い、全身を包み込むようなほど大きな黒のマントに身を包んでいる。漆黒の髪は肩の下あたりまで素直に伸ばされ、月光に照らされて艶やかに流れる。月を見上げるその肌は蝋のように青白く透き通っていた。高く整った鼻、怜悧に引き締まった唇は(くれない)に染まり艶やかだ。漆黒の長い睫毛の(とばり)に囲まれた瞳はアーモンド型で、目尻がキュッと上がっている。その色は得も言われぬ深い紫であった。月光を湛えてどこまでも深く澄み渡るタンザナイトを思わせた。心なしか、形の良い眉は微かに哀し気に下がり、その瞳は濡れたように水を湛えて見えた。  思わず、背筋がゾクリと寒気を覚えるほどに冷たい美貌持ち主であった。年若く見えるが、年齢は不詳である。何故ならその男は人では無いからだ。先端が尖った耳、尋常ではない肌の美しさ、そして艶やかな唇の奥に隠された犬歯が異常に発達した象牙色の歯がそれを物語る。  そう、その男はヴァンパイアであった。大規模なヴァンパイア狩りがなされた後の。城は彼らの住処であり、男はただ一体の生き残りであった。
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