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スーパーに車を駐車して炎天下の中歩くこと10分、ようやく辿り着いた目的地。ストッパーで閉まらないように開けられた玄関からはブラスバンドの音。暑いのが苦手なくせに、これだけはやり遂げるあたりが笑える。
「よう!」
ダイニングキッチンのドアは全開(ここにもストッパー)その先でリビングの床に座る男が手を振っている。男の前髪が揺れているのは扇風機の風を受けているから。暑さに上気した顔、首にはタオル。白いタンクトップと白いハーフパンツ。右手にはビール。
『これは大きい!風にのってぐんぐんのびる!外野手が背を向けた!』
ビーサンを脱いであがりこむ。アナウンサーの興奮からみてホームラン級の当たりらしい。
「うわ!!!」
「どんげ?」
「打たれた!なんだよもおお!」
「アチイな、おい」
「球児はもっと暑いんだよ。だから俺も耐える」
家じゅうの窓と扉をあけ放ち、最強にセットされた扇風機で風を回している。35度の外気がグルグルしているだけだから外と同様に暑い。日差しが遮られているだけマシという状態。
甲子園をテレビ観戦している男は北海道生まれの北海道育ち。クーラーがないのに普通に過ごせる(信じられない)場所で甲子園を見るより、球児達と同じ暑さを共有するほうが盛り上がるらしい。この姿を目撃するのは2年目だから去年より予想がついている分驚きはない。
気温25度を超えると窓と扉、おまけにカーテンも閉め切り除湿モードのエアコンと扇風機の風を全身に受けて籠る。それなのに甲子園の期間だけは暑さを受け入れる――球児を近く感じる為に。
「北海のピッチャーいいっちゃろ?」
「違う、北照」
ホクショウもホッカイも「北海道」にしか聞こえない俺は毎回間違い、毎回訂正されている。
「スーパーノダで鶏刺し買ってきた」
「ラッキー!ノダさんのは旨い。冷蔵庫にビール入っているから勝手に飲んで」
北海道男「白井」はそれだけ言うと甲子園球場に戻ってしまった。こうなったら話しかけようがちょっかいをだそうが足蹴にされるだけで退屈極まりない。それをわかっているのに顔を見にくるあたり、俺は相当おめでたい男なのだろう。
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