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「お早くお帰り下さいませ。わたくし、ずっと待っておりますから。お酒の臭いなどさせて帰ったら、許しません」
いつになく不機嫌な様子で自分を送り出した楓の顔を思い出す。
たまの非番なのに、楓を置いて外出するのを咎めているのかと思っていたが、もしかすると何か予感するものがあったのではないか。
久しぶりに剣の師の元を訪ねて歓談したが、勧められた酒を断わってきたのはまさに僥倖だった。酒は、あまり強くは無いのだ。少しでも飲んでいたら、おそらくとうに命は無かっただろう。
手強かった浪人者が、松之輔の突きを受けてくずおれた。
肩で大きく息をつく。
楓への土産にと求めてきた菓子はもはや、どこへ行ったか分からない。
刀には脂が巻いて、切れ味が悪くなり始めていた。
かつては、道場でも一、二を争う腕だと讃えられ、小遣い稼ぎに代稽古をつとめていたほどの松之輔であり、与力になってからもその腕を買われて幾度か捕者出役にも加わったが、たった一人でこれほどの人数を相手にしたことは、これまで一度もなかった。
かなり腕の立つ浪人者も混じっていたし、命知らずのやくざ者のような手合いは、時として手練の武士よりやっかいだ。
さすがの松之輔も、既に大小の傷を受けてはいたが、残るはあと一人だ。
できれば一人は生かして捕らえたいところだったが、とてもそんな余裕は無い。
むしろ、自分が生き残れるかどうかの、瀬戸際である。
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