1、中国へ

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 ぼくは船のデッキに立ち、流れ行く海をぼんやりと眺めていた。六月末の東シナ海は穏やかに広がり、晴れてはいるが、空気は多分に湿気を含み、どんよりと重かった。旅立ちの時はいつもそうなのだが、この時もぼくの思考は空白となり、過去も未来も無く、幸も不幸も無かった。それはまるでこの洋上の風景のように、眼を止めるベき小島の一つすら見当たらず、ただ茫々と薄もやの中に広がっていた。  ぼくは何故中国旅行を思い立ったのだろうか?それは二年間にわたる泥沼のようなヨーロッパ放浪の中から見つけ出した一つの答えであり、失意と愛欲と倦怠がグツグツと煮つまった中に現れた、一つの純粋な結晶体だった。そしてそれは、悶々たるドイツのキャンプ場で、夜明けの空からいきなりぼくに与えられた神の啓示だった。そこに一つの旅が終わり、また一つの旅が始まった。ぼくは一瞬にして全てを悟り、ためらう事無く飛行機に飛び乗った。そして、二年間、あてども無くさまよい続けたヨーロッパの国々を後にしたのだ。     
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