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ブラックキャップ
津田幸生の一日は、遺影にお茶を供えることから始まる。
と言っても、ちゃんとした仏壇があるわけではない。お線香もお鈴もない。かつてはパソコンデスクとして使っていた簡素な台に、愛しい人の写真を飾っているだけだ。
一生を共にと誓ったパートナーを亡くして7年。はじめは、晩酌の時にお相伴の真似事で遺影の前に酒を置いたり、もらいもののお菓子を一日供えたりするだけだった。1年半前に遺影が1枚増えてからは、信心深い仏教徒のように毎朝のお供えが日課になった。
9月に入ってもなお暑い日が続いていたが、この日の朝はさわやかだった。朝陽が差し込むまでにはもう少し時間があるだろう。
津田は煙草に火をつけ、朝一番の煙を肺いっぱいに吸い込んで窓の外に向けて細く吐き出した。まだほの暗い町に吐き出された煙は、網戸にぶつかってくゆることなく消えた。
細い腰を窓枠に乗せて座り、起き抜けの身体に煙がいきわたるのを楽しむ。遺影の前では、先ほど備えたばかりの冷茶のグラスに、水滴がびっしりとついていた。
(あと4分、いや3分でいいから、寝ててくれよな…… )
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