或る夏の壱日。

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なぜだ。私には理解が及ばない。もし仮に私がこの男の立場に立っていたのであれば、一分でも遅れた彼女に対して、私がその無駄になった時間について滔々と語り、三十分という時間でできたであろう事について説明し、ありとあらゆる言葉で罵り、そのうえで、その償いとして、彼女に丸坊主を強要している事だろう。もし仮に私がそのような事をしようものなら、「君はなんとも心の狭いやつだ」ととがめられるかもしれないので、あくまで中立に、私は実に穏やかな態度で彼女を迎えるという結果に満足するほかはなかったのである。  このようなことを考えているうちに、やがて「待つとは何か」という実に初歩的で、かつ哲学的な思想へと導かれていくようであったので、そのような思考をすることをやめたのだが、しかし思考を止めようとするのもあくまで私個人の意思、思考に基づいたものであるために、実はその時点で私はまだ驚くことに、思考していたのである。退屈な時間の中で、思考するということが一番の退屈しのぎであるかどうかはわからないのであるが、少なくとも私は自分からそのようにしたわけではないのだが、結果的には思考するという手段を選んでいたのだ。この文章を読んでいる諸君は、私が一体何の話をしているかすら、皆目見当もつかないという者もいるだろう。しかし安心してほしい。この男もまた、どうしてこんな話を始めたのかはまだ分かっていないのだから。この男は、このどうしようもなく退屈な時間とにらみ合っているだけなのである。
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