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またやってしまったと男が認識した時には遅かった。彼の人差し指と、中指の間には、煙を上げた煙草が一本。その指の間からぼんやりとのぞく灰皿には、果ていつの間にやら、大盛のごはんのようにこんもりと積みあがっていた。男は一つため息をして、店員に灰皿の交換を申し出て、この山盛りご飯のような灰皿を持ってもらった。「かしこまりました」という若い女性店員の顔が一瞬ゆがんだのを認識した。そりゃそうであろう。鼻を近づけんとせずとも漂ってくる強烈な煙草のにおい、どうしても手の甲に付着する煙草の残りかす。もし仮に私がこの女性店員であったら、受け取った灰皿を即座に持ち替え、そのまま男の顔面に勢いよく押し付け、そのまま三四回こすりつけた後、頭からすべての煙草を振りかけてやるのである。さすがに、窒息させるのは趣味が悪い。しかしながら、私は黒い灰に白い手を汚された若い女に性的興奮を覚えてしまったことを、ここに謝罪しよう。
さて男は、これから来るであろう男のことを思い出していた。彼とは一週間前に、とある集まりで出会った。よくあることなのだが、ネット上で人数を募り、共に自殺を図るというコミュニティーである。私たち六人は、十一月某日、富士山麓に集合した。「よろしくお願いします」の一言だけで、あとは何も語らない彼らは、そそくさと自殺の支度を始めるのであった。狭い軽自動車に若い男がぎゅうぎゅう詰めになっている間抜けな絵面があった。間もなく、一人の男が練炭に着火し、それで終了、のはずだったのだが、間一髪というべきか惜しくもというべきか、この男は生きながらえた。そして彼もまた、そうであった。私はなぜか、死にきれなった後悔よりも、孤独にならなかった安心感というものがあった。
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