さようなら

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さようなら

どこまでもどこまでも続く廊下。所々で無機質な白い光が弱々しく灯っている。私はそんな廊下の入り口の椅子に腰掛けて小さく息をする。吸って吐いて、吸って吐いて。今日は少し寒い。生きてる。私は今ここに生きてる。でも、いずれその感覚さえ私は失ってしまう。 「優香さんの症例は極めてまれなものです。世界でも数例しか報告されたことがなく、まだ治療法の確立が…」 医師の言葉が異国の言葉のように聞こえた。いや、違う。私自身がフィルターをかけていた。理解したくないから。受け入れたくないから。医師の言葉を拒むフィルターをかけて自分の心を守っていた。 異変が起きたのは数日前だった。私は交通事故に遭った。自転車と車の接触事故。幸い即死なんてことはなく、私は近くの病院へ救急搬送された。命には別状なかったが、足を骨折。相当な痛みを伴うリハビリになるだろうと言われるほどにはひどいケガだった。でも治らないことはない。その時、絶望と安心がないまぜになったような感情だったことを今でもはっきり覚えてる。 リハビリ開始と同時に異変はその姿を見せた。 私は全く痛みを感じなかった。 看護師に促されて立ち上がり、一歩前へ出る。そのまままた一歩。もう一歩。少し歩きにくいけど、全然問題なかった。看護師は目を丸くしてあたふたと医師を呼びに行く。骨折した部位はまだ治っておらず、普通ならありえない状況だったらしい。念のためと言われた精密検査で私の病名が判明した。 「優香さんは『感覚亡失』と呼ばれる病です。人が持っている感覚…痛み、空腹、暑さ、寒さ…感情までもが失われてしまう病です。」 私の脳に刻み込まれたのはこれだけだった。
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