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佐倉さんは上機嫌で、仕方なくおもてなしを受けることにする。
今日の佐倉さんの不在を分かっているのか、いないのか。佐倉さんはこの一週間、毎日言って聞かせていたそうだけれど。もえぎさんとあさぎくんは、佐倉さんにずっとくっついて歩いている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「そうだ、これを渡しておかないと。出掛ける時に使ってください」
佐倉さんが差し出したのはスペアキーだった。
受け取りながら、ふと思う。佐倉さんの会社には、これを狙っている女性が少なからずいるのでは、と。
佐倉さんは私の目から見ても、かなり優良物件だと思う。大手企業にお勤めだし、今は独り身だし、何よりやさしいし。美味しそうにいっぱいごはんを食べる姿を、内緒だけれど、ちょっとかわいく思うこともある。
ただの銀色の鍵が、途端に入手困難な超レアアイテムに見えてくる。
私は一時的に預かるだけですから!と、佐倉さんの背後に揺れる幻の嫉妬の炎に、言い訳めいたことまで考えてしまう。
「つい買い過ぎて、冷蔵庫にシュークリームとかいろいろ入ってるから、おやつに食べてね」
「はい」
「あと、おでんもいっぱい作ったから、夜ごはんにどうぞ。昨日の夜から煮込んでたから、味が染みて美味しくなってる筈」
おやつはともかく、食事はコンビニでお弁当でも買うつもりだった。私にとってこの留守番は、佐倉さんへのお礼という大切な任務中なのだ。その最中にまたご馳走になる訳にはいかない。
「あ、いえ、それは――」
佐倉さんが帰って来た時に食べてください、言おうとした言葉を遮るように佐倉さんの電話が鳴った。
「先輩?どうしたんですか?どこってまだ家ですけど・・・。え?マンションの前にいる?なんで・・・待ち合わせは1時だし、駅までは電車で行くって言ったじゃないですか」
佐倉さんが慌てた様子でベランダに出て身を乗り出す。
そこから見える景色の中に先輩さんがいたのだろう。私の想像通りなら、佐倉さんに向かって手を振っている。
佐倉さんは頭を抱えながら戻ってきた。
「もう、何をそんなに張り切って、家まで迎えに来てるんですか。・・・はい。はい、すぐ降りて行きますから」
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