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家に帰ると、良江は夕食の支度をしていた。玄関を開けた瞬間、カレーの香りに食欲をそそられる。
「おかえりなさい。もうすぐできるから」
指輪を外したその手で、良江は私の食事を作っていた。それは妻として、なのか。
「良江」
呼び掛けると、ぴくりと肩が反応する。肩越しにこちらを見る良江の目には警戒が浮かんでいた。
「少し、話をしたいんだ。いいかな?」
ダイニングテーブルの上に離婚届と結婚指輪を置き、座るように手で促す。
「さすがに驚いたよ」
私がそう言って笑うと、良江も驚いたようだった。わずかに見開いた目は、どこかあどけなさが残っていて、若かった頃、出逢った頃の彼女を思い出させた。
「理由を聞かせてくれないか」
良江はおそるおそるといった感じで座ると、俯いたままぽつり、ぽつりと話し始めた。
「お義父さんが、どうして喫茶店を始めたか知ってる?」
「それは……道楽みたいなものじゃないのか?」
良江が小さく首を横に振る。
「お義母さんとの約束だったって」
母は、私たちが結婚する前に亡くなっていた。優しい人で、可愛いものや女性らしいものが好きだったと記憶している。
大学を出た私に、
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