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しかし、私が「ノワール」のマスターになってから客足は右肩下がりで、おかしな常連だけが残った。
煙草を吸いながら新聞を読む老人にスマホを見てばかりの若い男、窓の外をぼんやり眺めている中年女性に、いつも同じ本を読んでいる若い女性、なにやら分厚い紙の束とにらみ合っていた若い男もいたけれど、最近はぱたりと来なくなった。
父が残していったジャズのCDを適当に流し、父が業者に頼んでいたのと全く同じブレンドの粉でコーヒーを淹れる。教わったとおりに、父と同じように、私はコーヒーを淹れる。
利益が目的でやっているわけではないのだから、客がこなくても別に構わない。
いつからか私は、この四百五十円のブレンドコーヒーは場所代だとして割り切るようになっていた。
この店の常連たちは「現実」から逃れるためにここへやってくる。
毎日のように顔を合わせ、ただぼんやりと時を過ごす彼らを見て、私はそう思っていた。
「喧騒を忘れたい」とか「一人の時間が欲しくて」という前向きな逃避ではなくて、もっと後ろ向きな――未来の到来を、何かが起こることを恐れている、そんな印象だった。
「おはようございます」
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