〘destiny is call me〙

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〘destiny is call me〙

 俺は独り歩く。  円谷聡美(つむらやさとみ)に会うために。  夜の帳が下り始める頃、俺はただ黙って道を歩き続ける。賑やかな街路。帰宅する者、飲み歩く者、様々な各人と交差しながら。  一方で円谷聡美が待っているであろう、彼女と初めてデートした時に訪れた喫茶店へ向かうために、俺はポケットに手を突っ込みながら、気色のない表情でゆっくりと歩く。  彼女と初めてのデート。そんな表現をすればまだ聡美との関係はかろうじて恋人同士と言える。いや、実際に俺との契り、なんて馬鹿な交際の表現も何だが、兎に角、お互いがその男女の契約の解消とやらを表には出してはいない。  待ち合わせ時間まではまだ二十分あるが、聡美は既に待ち合わせの喫茶店で、好みのキャンブリックティーでも飲んでいるだろう。  聡美はいつも待ち合わせ時間より早く、待ち合わせ場所に来る。  それらの彼女の動きやクセは容易に想像できる。俺が知りうる聡美に係る数多くの些末な事項に過ぎない。それだけ俺と彼女の仲は緊密になっていた証左か。それともある程度の期間を付き合ってきた男女なら当然の知悉なのか。男女関係の意思疎通やら以心伝心は勿論のこと、相手への理解など比べる事は出来ないが、恐らく俺ら二人の相互の了解事項は、その他カップルと変わらないであろう。俺も聡美もウブな熱愛とは程遠い間柄だ。それは付き合い始めの頃からそうだった。  ただ昔はお互いが直ぐ傍に寄り添いつつ仲良しごっこの様相を周りに見せるのが恥ずかしかったのがまごついていた原因だったが、今では二人の距離感のみが広がる冷えた空気が充満しているだけのパーソナルスペース。。  恐らくは聡美も察しているだろう、今日という特別な日も関係なく。  今日の待ち合わせは俺から呼びかけた。  二人の七年に渡る長い交際に終わりを告げるために。  彼女も今日の出会いをそう予感して、また、別れの台詞を待っているはずだ。聡美はその結末を望み、俺との繋がりに決着をつけたいはずだ。  だから俺は歩いている。  円谷聡美が待つ、最初のデートをした思い出の喫茶店へ。  二人の付き合いの始まりの場所で、その終わりを迎えるというのはある意味でベタなシチュエーションかも知れないが、多少のセンチメントを含んだ方が、恋愛のラスト・シーンとしては美化できる。そんなどうしようもない理由で最後の道化の舞台として、二人が初めてのデートで待ち合わせをした喫茶店を、俺が選んだわけだ。彼女も俺の誘いに対して素っ気なくスマホ越しに一言、分かった、と返事してすぐに通話を切った。やけに乾いた声に聞こえたのは俺の気のせいだったか。  だからこそ俺は終わりの始まりを、終わりの終わりに近づけるために、円谷聡美が待つ場所へと歩む。  そして、今夜、聡美と出会い、確実に緞帳を下ろす。 つまりは、二人劇の終幕。 俺自身が俺自身の心のモノローグに応じながら、カーテンコールは起こらないであろうシアターへと向かう。 ナルシズムか自己満足か。俺は男女のラスト・シーンに一抹のロマンを求めているのか。今、道を無言で歩む俺にこそすら、自身の自惚れからの別れという名のドラマに臨もうとしている。そこに、寂しさはないのか、悲しみはないのか、と自答しながら。 さらに俺は、ただ誰かに作られたプロットに従って歩いているにすぎないのではないか、という感覚に襲われる。まるで他人事のような、それこそフィクションの中の、テレビの中の、映画の中の、小説の中の、そんな物語(ナラティブ)の内でアルルカンに限りなく近い演者として俺は無邪気に、いや、無責任に泳いでいる。 だが、俺の精神の機微とは別に聡美の隣にいたという確実に存在したリアルがあった。俺の妄想の一言では片付けられない事由はある。 彼女との今までの軌跡がある。  この一歩一歩が俺と聡美との思い出の重さを運んでいる、とでも言えば台詞映えも良く聞こえるか。事実、聡美が待つ場所に近づけば近づくほど、俺と彼女と共有した記憶の、分かち合った経験の、寄り添い過ごした日々の幕引きは迫る。  俺たちの、終わり、を意識し始めたのは同棲を解消した辺りからだろうか。 俺たちの付き合いは七年前、二十代前半からから始まったが、その間に半年間の同棲期間があった。恐らくはその当時、お互いに結婚を意識していたと思う。だが、結局はすぐに同棲暮らしは破綻して、今に至るまでダラダラと付き合ってきた。別にその同棲の解消原因は、性格の不一致やら、生活スタイルの違いといった、価値観の違いという水位の話ではなかった。そのような話が原因なら、同棲に至るまで五年ぐらいの付き合いは経ていたので、お互いの心境を分かりきっての同居だったから、生活の上での云々だけでは理由にならない。また、お互いの関係に飽きたから、半ば自然消滅的な別れを模索していたというわけでもないはずだ。  要は単純にすれ違いの蓄積が、二人を引き離していった。ただそれだけの珍しくもない、とあるカップルの破局原因だろう。だから、何のドラマにもならない、月並みなロング・グッドバイをこれから迎えるだけだ。  長いお別れ。  そんなレイモンド・チャンドラーの同名の小説のようにスタイリッシュかつハードボイルド風に倣って、煙草をくゆらしながら別れを告げてみたい気概もあるが、俺は煙草が吸えなく目指している店内も禁煙だ。何のキメも出来ない、お膳立てもない様にならない訣別になるだろう、恐らくは。  それだけのために俺は歩く。悲劇(トラジェディ)としては盛り上がりに欠けるであろう、何処かの男女の別れ話のスキットを演じるために、俺は歩くのだ。  だが、二人の別れに起伏はないが、終わりに至るまでの多少なりの筋(プロット)はある。つまり、すれ違いの蓄積、とやらのシークエンスやプロセスは。  俺と聡美の初めての出会い。  若かったお互いには夢や目標があった。俺は星の屑ほどの上京ボーイが飽き飽きするほど抱いていた願望であろうミュージシャン。ただ少し違うのはバンドマンとかではなく、アコースティック感のあるソロのシンガー・ソング・ライターを目指していた。ボブ・ディランのようなボソボソとした語り口調のような歌声も好きだが、あまり有名なシンガーではないもののエリック・カズのようなぶっきら棒で素朴な歌唱法が俺には気に入り、また、サウタージというか寂寥感を帯びつつも決して後ろ向きな感じでない明るいメロディが、俺の青臭かったミュージシャン魂に響いてしまった。コード進行の意味すら知らず、AメロやらBメロの用語も知らない、単に音楽を聴く側の若僧だった俺に、ミュージシャン、ひいてはシンガー・ソング・ライターなるご高名な称号を得る為の、夢、とやらを俺に与えてくれたわけだ。 顧みればただのガキの発想が出発点だが、結局その精神を大人になっても引っ張ったまま成長してしまい、俺はまだ本気を出してないから世に認められていないだけ、が口癖の、結局、負け犬ミュージシャン人生を歩む事になってしまった。 一方で聡美は短大卒業後には製菓の専門学校に通い、パティシエを目指しながら洋菓子店でスイーツの作り方の地道に研鑽をしつつバイトをしていた。 そんな折、野郎の一人暮らしにもクリスマス・イブぐらいは虚しいながらも色を添えたいと思った日に、ケーキを買いに行った店が、彼女が働く洋菓子店だった。 一目惚れ、というわけではなくて、ただ単純にクリスマス・イブに働いてるなんて、きっと彼氏がいないんだろう、と打算的に思った事がきっかけで、俺がその日彼女に話しかけたのを機会に交流が始まった。 「そのポニーテール姿でサンタのコスプレされたら、可愛すぎて逆にこっちがプレゼントをあげちゃうよ」  とサンタのコスプレ姿の店員として働いている聡美に、若いキャバ嬢を口説くオッサン以下のナンパ文句を放った俺の一言が最初のランデブー。それでも聡美は困惑がちな表情になりながらも笑顔で返してくれた。  そして、そんなアホな話しかけ方から始まったわけではあるが、俺は彼女が働く洋菓子店に足繁く通い、交流は交際に変わっていった。  初めてのデートの日の事で覚えている部分は少ない。 ただ、待ち合わせ場所は、今、俺が向かっている古びた喫茶店で、偶然にも店内で流れていたBGMはエリック・カズの『イフ・ユア・ロンリー』だった事だけは脳裏に残っている。 それ以外はお互い緊張していて、何の会話をしたかなど覚えちゃいない。 少なくとも俺は。 ただ何やら二人で将来の夢やら目標やらを熱く語っていた記憶はある。詳しい内容は忘れてしまったが、恐らく生熟れして世間知らずの無邪気な会話で盛り上がっていたのだろう。リアルをまだ夢の舞台の延長線上と捉えていたあの頃は、何もかもがイノセントで若かった。恥ずかしい回想だ。 若い折にはどうして勘違いにも違い輝かしい明日を期待してしまうものか。当て所のない大義を糧にして、それだけで突き進める力があったのだろうか。人生に対して無知ゆえの実行力、行動力なのか。 それとも俺の場合は当時、傍に聡美がいたからか。 そして、互いは兎にも角にも貧しく、文字通り肩寄せ合いながら、カップラーメンを食べ続ける仲だった。バイトで稼いだ生活費のほとんどは、金が無いにも関わらず聡美も俺も映画や美術館通いなどに浪費し、脳みそだけは芸術で彩ろうとしていた。旗はボロでも心は錦、という事で日々を過ごしていった。 それに俺個人としてはギターに自分の実力以上の物を求め拘り、故にやたらとギターを買い換えたりしていて、貧乏による負の連鎖。 そんな無駄な投資をして、ライブ・ハウスでのオーディエンスの反応は悪く、全くフィードバック的なものは感じられなかった。ライブに参加している他のアマチュアのミュージシャンはロックやパワーポップな曲調の、さらにバンド形態の連中ばかりなので、ソロの俺の弾き語り的なシンガー・ソング・ライター気取りのスタイルはウケなかった。何の変哲もなく工夫のない、昔ながらのトラッドやフォーク臭いだけのサウンドは流石に地味すぎた。 客の入りはどんどん悪くなり、どうにも俺はライブ・ハウスでは浮いたような存在になり、さらにはスタジオのレンタル代や録音機材やらの出費で、俺の財布は破綻寸前。  そんな時だった。俺が清貧に苦しんでいる事を察して、聡美が自分の部屋に住む事を勧めてくれたのは。つまりは同棲生活の始まり。正直、その提案は愛の巣云々の発想より、現実的に生活が助かった、という思いで俺は彼女との二人暮らしに臨んだ。  だが、貧しい二人の共同生活、と考えていた俺だが、その内実にはお互いの格差があった。  それは、二人の将来の進捗具合の格差。  俺はうだつが上がらない日々を過ごす中、聡美は順調に自分の、夢、の道を切り拓いていっていた。製菓専門学校も卒業してパティシエの資格も取得し、バイトしていた洋菓子店でも社員に抜擢され、今では副店長的立場になり、さらには次期店長も任されといるとのこと。もはや聡美は自分自身の力で己の目標を達成しかけていた。 彼女の堅実かつ営々とした努力は実を結びつつ、俺の野放図にも近い当て所なき夢とやらは現実には近づけなかった。当時の俺としては真剣にして真面目に取り組んでいた一つのミュージックという一つの創作行為は、所詮は自己満足の代物だったのか、と卑下すらしていた。それでも俺は聡美の上昇気流に乗った姿を憧憬し、どんどん成長していく様を快く感じている、はずでいた。  そう、一方で俺は彼女の成功を喜びながらも、何処か羨望と嫉妬の念があった。何せ自分自身が満ち足りていない状況にあるのに、人様を両手離しで祝える気持ちになれるか。例えその相手が恋人だとしても。狭い了見だが俺にはそんな心のゆとりはなかった。あからさまではないが、恐らく俺はその頃から彼女に対して冷たく接していたのかも知れない。彼氏だからか、男だからかは分からないが、くだらない意地と矜持が俺のガキっぽさと相まって割り切れなかったのだろう。彼女の活躍と、俺の腐り具合の分別を。 そして、自明的に同棲しているとはいえ収入格差は甚だしく、ほとんど俺はヒモ状態。それにして一向に俺の音楽は認められる気配はない。俺は内心、煩瑣と焦思に駆られる。これもまた自明の理。 聡美は何も気にせず俺自身が求める音楽を追求すれば良い、と笑顔で言ってくれてはいたが、その気遣いすら俺にはイヤミに聞こえた。聡美の笑みが俺には皮肉にすら感じた。憐れみを含んでいるような視線を覚えるほど。ほとんど俺の被害妄想ではあるが、その事を承知の上で俺は一人苛立っていた。ある意味、俺はその自意識過剰な自分を俯瞰的に見ていられたから、特に聡美に八つ当たりして怒鳴る事もなく、淡々とお互いの日々を過ごしていた。同じ部屋の空気を共にしながら。ただ俺はその毎日を黙りこくり、ほぼ無言だったが。それが俺には聡美と一緒にいる際の、俺自身の限界でもあり条件でもあった。俺独断の。 俺には何をして良いか手立てが浮かばなかった。俺が彼女と共にいる意味や意義が。二人が二人いなければならない理由が。 だが、一つだけ分かった。少なくとも当時は正解だと思った事があった。自分を追い込まなければならない。生ぬるい環境では真の俺が求むべくサウンドなりミュージックは発生しない、と。つまりは俺自身をとことん、孤独、にさせないと判断した。 独りでいる事こそに宿命を定め、自らを見つめ直さなければならない、と。 だから俺は金が相変わらずないまま、突然に聡美の家から出て同棲を辞めた。突然とはいえ聡美も俺の気配を察していたらしく、それほど動揺した様子は見せなかった。しかし、ただ一言、 「家出る時に、さよならって言わないでね」  と冗談っぽい口調で、弱々しい声で、弱々しい笑顔で、告げた事は覚えている。俺がその後どうリアクションしたかは記憶にないが。  兎に角、俺はまた独りで生活する事になった。 無論、同棲時代以前よりよりハングリーな暮らしを強いられ、バイトに精を出しつつも時間を労働ばかりに費やせないので、限られた時間の中で、俺はギターを弾くようにはなった。もはや精神論的に自分を追い詰めるというより、勝手に周囲の環境が俺をそうさせたので、自動的に俺は自分の音楽とやらに没頭できた。その分、反比例して聡美と出会う機会は減っていくが。  しかし、そんな身勝手な自分ルールを従った成果か、ようやっと自分のギターにオリジナリティを俺は見い出せるようになった。少なくとも俺には自らに変化を覚えた。今までは単純に理想論に偏り、自分が良いと思う音楽はオーディエンスも認めてくれるものだと理解していたが、俺の旧態依然に近いフォーク・ロック調のシンガー・ソング・ライターのタイプでは、何の意匠もない過去の世代の二番煎じ。温故知新の知新の部分が全く感じられない。ノスタルジィを味あわせるだけの、懐メロと変わらないと思い始めた。つまり、音の鮮度の観点からでは何も得ていなかったと気づいた。 だから俺は基本に帰って、もっとシンプルに精神論やら理想論云々からではなく、現代的かつ実用的にギターの、技術、に焦点を当ててみた。とはいっても、その技法は単純でフォーク風のメロディにタッピングとアルペジオの奏法を多く用いて、音の緩急をより鮮明に聴かせるというもの。ややロックの要素を含んだ、と言った方が近いか。 ただ意識的にそのようにサウンドを変えていった結果、徐々に俺はライブ・ハウスのオーディエンスから手応えを感じていった。実際に客足も増えていったし、周りのバンド連中からも驚きと賞賛の声を貰うようになった。若干のギターの技法とメロディの意匠が、ここまでサウンドの違いをもたらすのかと自分自身驚きもした。 そして、何よりも決定的だったのは、遂にメジャーのレコード会社からもお声がかかり、ネット配信ではあるもののシングル曲を出せる事になったこと。そして、さらにそれが話題を呼び、ラジオ局のヘヴィローテーションに繋がり、シングルCDの発売になったこと。つまり、俺はメジャーデビューを果たした。 一つの、目標、は成した。 その結果、今では新人としては異例の早さのデビュー・アルバムを俺は制作している。三十路を手前にして俺は長年の、夢、を掴もうとしている状態。やはり俺が選んだ、とことん自分を追い詰めて、自らを孤独に陥れること、は間違いでなかったと実感できる。 だから俺は歩く。 さらなる、孤独、を求めて、聡美が待っているはずの、あの二人の始まりの喫茶店へと、訣別の時を知らせるために。 街はハロウィーンが近いからか、人通りが多く歓声も所々で聞こえる。しかし、俺は黙って俯きながら歩き続ける。 俺と聡美がお互いに依るものはもはや、ない。俺たちはもうお互いが補完し合う仲ではないんだ。それぞれが自立して確固たる個を持ち合った、と俺は判断した。 だからこそ俺との別れは聡美も望んでいる事だ。もうお互いはそれなりの自己実現を達したはず。それに俺は今このチャンスを逃したら、もう皆の前で歌は歌えなくなる。時間がない。ここで一所懸命に、作曲作詞活動をしなかったら終わりだ。今は全てをギター一つに集中したいんだ。指に、ピックに、ギターの一本一本の弦に、虚仮の一念だとしても僅かな青春の残滓を賭けて。 それに聡美だって自分の仕事があり、また将来を見据え安定的な生活を希望しているはず。結局は俺がこれから目指す、ミュージシャン、という商売は水商売。もしもお互いの人生を分かち合うとしたら、俺の生き方は長期的な、至極真っ当な仕事としては、あまりにもリスキーすぎる。彼女にとってもこれ以上ダラダラと俺と付き合って、無駄な時間を過ごすのは結婚適齢期とやらを逃す始末になる。聡美は俺よりもふさわしい男を探した方が良いんだ。そう、俺と聡美は言わば相補的な関係だっただけ。お互いが足りないものを補って支えあってきた。だが、もう今は二人とも自立している。繰り返し俺は思う。俺と聡美にとって、両者はもはや必要としないものなんだ。既に耐用年数は過ぎた。二人三脚の紐はとうの前に千切れた。 それ故に俺は歩く。 全てを見納めるために。 二人の思い出の精算をするために。 互いの記憶に別れを告げに。 徐(おもむろ)ではあるが徒歩は続く。 遅い足取りでも喫茶店は近くなっていく。この歩速でも待ち合わせの時刻には到着するだろう。牛歩じみているせいか、周りの景色がゆっくり流れ、街中のショップから漏れるBGMも耳に伝わる。深く思考している意識とは別に、五感というものは別に起動するものだ。 顧みれば街路は奇妙だ。俺のように自惚れにも近い悲壮感に浸りながら歩いている輩もいれば、何の悩みも抱えてなさそうに無邪気に走り回る子供たちもいる。 若きウェルテルの悩みが如きを我が身に覆わせる男もいれば、フラゴナールの本を読む少女のように待つ女もいる。何処に真意があり正解なのかなど、誰にも分かるわけもないし、見つからない。人間が完全に融和できるのは、自分自身を相手にしたときだけであり、友とも、恋人とも完全に融和はできない、なんてもっともらしい言葉を言ったのは哲学者のショーペンハウアーだったか。もし、その言葉を借りるならば俺はあえて目論まなければいけない。 自分自身を選ぶ、と。 独りを望む、と。 人を頼る、寄りかかかるという行為は甘え、ひいては弱さを生んでしまう恐れがある。月並みではあるが、ストイシズムに徹して、マゾにも思えるほどの自責を常に精神の負荷として生きる時期も、暫時でも構わないから必要な人生の季節はある。つまり、青春と朱夏の間の時季。俺はギリギリの時間にターニング・ポイントを運よく得たようなもの。ホールド・ユア・ラスト・チャンスとして自分に課して、俺は今後の音楽活動に臨まなければならない。 円谷聡美もまた同じモメントにあるはず。 彼女も彼女なりの使命を己に背負って、今は踏ん張って頑張って一歩一歩を進んでいる。その歩みにこの俺が立ち入るのはあまりにも無粋。単に邪魔な存在になるだけだ。小難しい話ではない。二人が干渉し合い迷惑をかけなければ良いだけのこと。 別離こそがお互いの最善策。 もう、それで何もかもが解決できる。 そう思った時だった。 そう決断した時だった。 俺の頭の中で、エリック・ジャスティン・カズ、つまり、エリック・カズの『イフ・ユア・ロンリー』が響いた。いや、単に耳に聞こえた。何処かの店の有線から流れ出た音なのか、僅かながらエリックの歌声が俺の耳に入った。 俺は思わず一度立ち止まり、周りを見渡した。俺を囲んでいるのは、多くの楽しげに会話を交わす歩行者ばかりで、微かに聞こえた『イフ・ユア・ロンリー』の音色は、もうかき消されていた。 果たして偶然の産物か、俺の気のせいかは分からない。ただ、もし本当にその曲が流れていたのだったら、皮肉な具合だ。始まりの場所で聞いた歌が、これから終わりを伝える時に流れるなんて……いや、もはやそれはどうでもイイ事だ。 再び俺は歩く。歩くしかないんだ。 しかし、 「イフ・ユア・ロンリー、か」  と我ながら慮外の独言。  イフ・ユア・ロンリー。 もし、君が孤独だったら。 直訳すればそういう意味だろう。 俺だったらこの後にどんな歌詞を付ける? 俺だったらこの後にどんなメッセージを込める? もし聡美が一人ぼっちだったらどうする? 不意に何の脈絡もない自問自答が俺の胸襟をよぎった。 俺は勝手に自分で孤独を背負い込み、その結果、成功を手にしたと思っていた。聡美と距離を置く事によって、自分を追い込み、所謂、ハングリー・スピリッツとやらを糧にして、栄冠を手にしたと思っていた。 俺の心の飢餓の結果が成果に繋がった。それはそれで良いだろう。だが、その裏に、その中に聡美の存在をどう位置付けていた? ただ俺の為に、ただ俺の自己承認欲求の対象にしか見ていなかったのではないか? まずい言い方で表現すれば俺の自己実現みたいなものに聡美を利用していた。俺のエゴを満たすための女、いや、人間でしかなかった。聡美こそが自身の枷と手前勝手に俺は思っていたのではないか。 だとしたら俺はクソだ。 そうだ、全ては俺の勝手な思い込みの産物の末の栄光だったんだ。聡美の気持ちなど何にも考えちゃいない、俺の自己陶酔と自己満足の思慕こそを優先させた果ての、その傲慢さ故の成り行きだったんだ。 聡美は孤独の中に自分の成功を見い出そうとしてたか?  それは自分勝手に、俺自身が孤独になる事こそが、何らかの切磋琢磨になると考えて、彼女の家から出て行き、俺のワガママまで彼女との距離を置いただけのこと。 今日、俺は聡美に別れ話を告げに行くと言い、彼女もまたそれを望んでいると思っていたが、それこそが自分の都合の良いだけの独善的な判断。 もしかしたら聡美は待っているのではないか? 俺と別れるのではなく、もう一度二人想いが通ずる事を。 確かに聡美だって今の俺との関係がギクシャクしているのは分かっているはずだ。俺がメジャーデビューした時も、複雑な笑みを零していた。今思えばあの時見せた苦々しい破顔は、二人の距離がどんどん離れていっている事を危惧していたからではないのか。彼女が望んでいたのは俺の成功よりも、俺が彼女に対する想いではなかったか? 俺は歩く。 やはり歩かなければならない。 彼女が待つ場所へ。 だが、翻って今夜、彼女に別れを伝えず、あえて久々のデートを普通にするならば、それならそれで、これから二人は一緒にいられるだろうか。 それは無理だろう。 お互いの心の距離は既に間延びして、修復は不可能に近い事自体は俺の妄想ではなく、聡美だって敏感に覚えているはず。二人の限界を感じているに違いない。もしかしたら俺への信頼は揺らぎ、いや、既に崩れて目すら合わせてくれないかも知れない。俺が考えうる聡美との関係性の回復の蓋然性は、ただの楽観的な思考で、やはり聡美は俺との別れを望んでいるのかも知れない。だが、その逆も然りではある。厳しい状況ではあるが、まだその際(きわ)にあり、真夜中、最終電車に間に合う頃ではあるかも知れない。夜明け前のリミテッド。 しかし、もし俺と聡美、二人がまだ共に手を取り合うなら、もう一度、最低で最悪だったあの頃に戻るしかないのではないか? 二人肩寄合い一つの毛布を掛けていた、極貧だった頃に。いつも口喧嘩ばかりで、怒鳴り合っていた頃に。観る映画はレイトショーの低額を狙っていたあの頃のように。デート・コースは常に公園巡りをしていた頃のように。 物質的には何もかもが満ち足りず、ただただ求めていたのは二人で体験する思い出と想いだった。俺たちの両手には何も持っていてはいなかった。しかし、俺の右手には聡美の左手があり、そこには温度があり、感触があり、繋がっていた。彼女の笑顔があった。俺はそんな聡美の肩を抱いていた。二人がそこに存在する事が全てだった。それだけで良かった。若かりし日の苦労時代として語りたかったが、どうにも呑気なもので、その実は楽しき記憶だったんだ。 人前で偉そうに喋れるほどの、艱難辛苦の教訓にもならない、ただの大人のおままごと程度の経験だった、と言える。だが、その当時では俺たちは自らの状況を苦心惨憺たる環境と思っていた。 だからこそ、俺と聡美は悲惨で過酷だった若い時期の、情熱ばかりが先行していたあの日に帰れなければならいのではないか? 状況ではない。精神の持ちようとして。 そう、もう一度、最低で最悪だったあの頃に。 俺は歩く。 果たして俺は何処へ向かうのか。 いや、俺たちは何を選ぶのか。 俺の弾くギターの弦は二人奏でる和音(コード)になりえるか。 一寸の光はまだ若さに宿っているかは分からない。 しかし、俺は歩み前に進む。 約束の場所に向かって。 始まりの喫茶店に向かって。 まだ答えは分からない。 だが、間もなく聡美が待っているはずの席に腰をかけるはず。 今までのすれ違い分は苦いブラックのコーヒーを俺は飲むはず。 安易かつ凡庸な涙を流す事で決するような温くないドラマが待っているはず。 過酷な現実が直面する。 もう間もなく。 そう、運命が俺を呼ぶ。 了
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