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彼女は人間世界が嫌いだった。たとえそこが、俗称「人間界」とは違う宝の世界であっても。
自身が「人間」でないことは薄々知っていた。「人間」は彼女のように大岩を担げず、一晩で三つの山を越えることもできない。
なのに「人間」は偉そうなのだ。オカネという木端や銀塊を盾に、彼女に畑仕事や毎日頻繁な水汲みをさせた。クズ鉄の剣も着っ放しに堪える服も鎧も、オカネがなくては旅用の外套一つ買えない。なるべく「人間」に関わりたくない彼女は、育った山奥を出ても最低限の日雇いで辛うじてオカネを補充していた。
あとはただ、ヒト多き「風の大陸」で人跡未踏の山々を巡り、人間の手から逃れていく日々。人間は彼女のことを恐れるくせに、戦いの道具にしようとおふれまで出す。
今日も今日とて、春山の隠れ里に泊まったはずなのに、宿の主人に彼女の顔は気付かれていた。空を透かす水晶のような青い目と、空そのものの青の長い髪が、今をときめくお尋ね者の特徴として知られてしまっている。
「ライムさん、どーしようあれ。店主のおっちゃん、確実に警戒してる」
「うるさいなあ、武丸……アンタは佐助を看てなさいよ」
彼女一人なら、野宿で良かった。しかし育った山を出る時から彼女を師匠と呼んで、何故かついてくる少年達の弟の方が頻繁に熱を出すので、きちんとした寝床で休ませないといけない。だから彼女は、この宿に泊まるためのオカネをまず工面しなければいけない。
一泊目は旅の途中で殺した魔物の生皮で済んだ。明日はどうしよう、と彼女が夜中に宿を出て、付近の森を散策していた時のことだった。
本当は昼間に、その凶事の前触れは目にしていた。森の奥にある泉で、広場ほどの大きさの水面が闇の中に満月を映していた。
彼女よりずっと弱小な人間達の、愚かさだけの風習には関わらない。見て見ぬふりをする、そう決めていたのに。
「……――あい、つ……――」
ふらつく先を間違えてしまった。そう後悔した時には遅く、彼女のすぐ目の前で、泉に近付く白装束の乙女が、悲痛な黒い目にまばゆい蒼の光を反射させた――
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