序奏 荒ぶれる空の光

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 「黒鳥(こくちょう)様の生け贄になれ」。そう定めづけられた乙女が、為す術もなく森の奥の泉に追いやられ、毎年行方不明となる乙女の一人になるはずの夜だった。 「――水から離れて!」  意を決し、泉に足を踏み入れようとした乙女に、見知らぬ鋭い声がかかった。  夜の内に入水しろ、とその山村では定められている。最早日中に行う生け贄の儀式もやっつけ仕事で、たたりが怖いから続けているだけの風習。泉の向こうにある(ほこら)の主が乙女を喰らうというが、実際は一度水に入りさえすれば、後はいくらでも逃げていい、と乙女は聞いていた。(けが)れた黒い泉につかった者は、村には帰ってはいけないだけで、麓に逃げるなりして姿を消す生け贄が大半なのだ、と。  しかしその日は、「黒鳥様」が趣きを変えたらしい。乙女は泉の手前で謎の怒声にびくっと後ずさり、(つまず)いて座り込んだ瞬間、辺り一帯が閃光に包まれていた。同時に激しい春雷が鳴り響いた。 「え……ぁ、きゃああああっっ」  耳と目を潰しにかかる音と光。間近で泉に炸裂したので、腰を抜かした時に瞼をぐっと閉じた結果、視界は何とか守られていた。耳鳴りでがんがんする頭を押えながら目を開けると、泉には巨大な蛆虫(うじむし)が打ち上げられていた。 「な、なにこれ、ま、魔物――!?」  大きさだけは、虎よりも巨躯である死骸。あのまま乙女が泉に足を踏み入れていたら、この蛆虫は乙女をいったいどうしたのだろうか。  がくがくと震えながら動けないでいると、ぽん、と、乙女の肩を後ろから誰かが叩いた。ぎゃあああ! と乙女がますます驚いてのけぞって跳んだ。 「あ。ごめん」 「ほらもー、ライムさーん! だから声かけずに帰ろうって、おれが今言ったばっかー!」  ばさ、と少年らしき声の方が、乙女に頭から外套をかけた。最早驚ける余裕すらなく、乙女はへたり込んだまま外套にくるまれる。 「すんません、おれ達見られたくないから、今の数分はできれば全部忘れてくれな!」  外套の内に眠り薬が仕込まれていたらしい。やがて乙女の意識は遠くなっていった。  乙女の肩を叩いた方は、夜の中でも青い髪と目をさらりと光らせ、蛆虫の死骸を水際で(あらた)めていた。 「……あーあ……」  しかし確かめたかったことは、どうでもいい魔物の(むくろ)ではない。水面には他にも魚の腹がいくつも浮かび、彼女はぐっと眉をひそめた。  その後、ようやく諦めがつき、声をかけた。 「誰? わざわざ、水から離れろって忠告をくれたのは」
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